落暉に燈episode.02

 ミタマがミタマ同士で会話ができると知ったのは「御霊考察」という本だった。
 実際、熟練モノノフでも己のミタマと会話ができるには個人差があるようで、声を聞けるだけの者も居れば、ミタマの姿形まで鮮明に見え日常的に会話を楽しむモノノフも居るという。霊力なのかはたまた備わった素質なのか、いまだに詳しい事は分かってはいないが、九葉の部下にも幾人か会話のできる者たちが居た。その様なモノノフは、彼らの助言に良く耳を貸すからか、戦場では機転のきいた素晴らしい立ち回りをする。
 そのうちの一人が今朝方、血相を変えて執務室へやってきた。
 筆を走らせていた九葉は顔を挙げずに「なんだ、騒々しいぞ」と尋ねると「女が目を覚ましました」と告げる。報告だけならすぐに頭を下げ九葉の言葉を待つが、戸口に立ったままの隊員は何か物言いたげな様子だ。他に用件があるならさっさと言えと左手を払って部屋の隅に追いやると「あの、九葉様…」と恐る恐る呟いた。
 
「わたしのミタマが…、この女には無数のミタマが宿っていたと、、妙なことを言っているのです…」

 筆の腹から妙な位置に墨が落ちた。無意識に力加減を間違ったらしい。
 そもそも大抵のモノノフは、一人に一人のミタマしか宿せない筈である。いや、それ以前に複数のミタマを手にする人間には終ぞ出くわしたことはない。古い文献にはそういった類稀なる“ムスヒ”なるモノノフも居たと読んだことはあるが、それも千年も大昔の記述であり真偽の程は怪しい。伝説上の話だ。

「そんな事があるわけが無かろう。ミタマは一人に一体だ。それに宿っていた、とはどういうことだ。今あの女はミタマを宿して居ないという事か」
「いいえ。今は一体のみ、残っているそうで…」

 余計に訳がわからない。九葉はいよいよ硯に筆を寝かせた。このまま執務を続けていても良かったが、こんな話が陰陽方へ知れれば面倒くさいことになる。唯でさえミタマの移植を試みようとしているような連中だ。部下のミタマが嘘を言っているとも思えないし、物珍しい娘一人見つかったあかつきにはすぐに引き取って身体の隅から隅まで調べ上げられるに違いない。ふと九葉は、発見時の拘束具をはめられたと思しき傷やあざを思い浮かべた。無性に不快感が襲い、親指と人差指で眉間を揉むと気を取り直して病棟へ向かった。
 途中、女の身元調査結果と診断書に目を通した。身元は不明で名前すら覚えがないらしい。項目は真っ白である。どこの里の者かもわからず、調査にあたった隊員らも困り果てているようで、また、診断書には只一行、“胸部に裂創有り” とだけ書かれてあった。胸に切り裂かれたような傷がある身元不明の女性── 改めて言葉にしてみると、厄介なものを拾ってきてしまったようである。
 陰陽方は、鬼を使った実験だけでなく、むごいまでの人体実験も行っていると風のうわさで聞いたことがあったが、今はただの推察の域に留めておくべきかもしれない。今すぐの行動に移すことは躊躇われ、九葉はため息混じりに病室の扉をあけた。

 西日が強いからか、窓にはすだれが掛かっていて部屋は薄暗かった。大部屋四人用の広い室内には娘の寝台がぽつねんとあるだけだ。
 横たわる彼女は、人が入ってきても僅かにこちらへ視線を向けまた天井へと戻した。随分生気が感じられない。顔色は悪く頬はこけ、寝間着の合わせから覗いた細い首には、首輪のような傷跡が異様に目立った。真っ黒な瞳には何も映していないようにも思える。九葉が声を掛けるも、彼女は返事もなく虚空を見つめているだけだった。
 調書が真っ白だったことを鑑みるに他の隊員らにも同じ様な状況だったのだろう。それ故、ミタマが知恵を出したのだ。
 部下が気を利かせて腰掛けを差し出した。長居する気は全く無かったが、腰を下ろした九葉は改めて彼女に問いただした。

「名は」

 彼女は九葉に顔を向け、少々ぼんやりした様子で、その問いに酷く動揺している。なかなか言葉が出ないので、九葉はミタマに話をさせようと思い部下を一瞥した。ところが、彼女のミタマは一体は居るはずなのに、ミタマ同士の問いかけにもうんともすんとも言わずだんまりを続けているらしい。主に忠実なミタマのようだ。申し訳なさそうに眉を下げる隊員に、九葉はもうよいと手を掲げた。
 九葉とモノノフ、そして医者が揃い踏みともなれば、知らぬ人間に囲まれ不安になるもの無理はない。ただ口を開くまでこの場で待っていても時間の無駄である。あとは隊員らに任せようと腰を上げた。その時彼女は声を震わせた。

「わから、ないんです…。何故ここに居るのかも…」
「倒れる前は何をしていた」
「…それも思い出せないんです」

 医者が言うには、頭に強い衝撃を受けた時、記憶喪失になることもあるらしい。何らかの切掛けで過去を取り戻す患者もいるそうだが、かなりの時間を要するという。九葉はあれこれ思案したが、この娘の素性を知らないかと金の草鞋で国中を聞いて回るのも違う気がした。とにかく身寄りがないその事実だけは違いない。
 医者の見立てでは二週間ほどで退院できるらしいが、問題はその後だと言われた。後ろに控えていた医者は九葉を廊下へ促した。

「九葉殿、すみません。身寄りが無いと聞いてはいますが、回復した者を長く病棟へ置いておく事はできません。後の手立てをお考え下さい」

 医者の言うことはもっともだった。今は大部屋も空いているが、緊急任務が重なれば大なり小なり負傷したモノノフたちで埋め尽くされる。だからと言って、娘のミタマの事といい、裂傷の事といい、保護施設に預け入れるにも抵抗があった。拾った手前、責任はもちろん九葉にある。
 霊山は職も多く、国の中心なだけに暮らすには不便はないはずだ。少しずつ生活に慣れた後、一人で自立できるまでの後ろ盾は数ヶ月あれば十分だろうと思い直した。また、ミタマを有するのであれば、あわよくば訓練生としての適性もある。戦力になり得る可能性もあるならばと、九葉は彼女を引き取ることにし回復したならば、隊員に迎えに行くよう命じた。

 その日は、からりと晴れ雲ひとつ無い朝だった。簾は巻かれ大きな格子窓からは診療所に行き交う人々が小さく見えている。建物脇に植わっている軒よりも高い木々の木漏れ日は病室に注がれ斑になって揺れていた。
 医者は「回復されましたね。おめでとうございます」と言っていたが、娘の表情はあまり晴れなかった。己が何者かも分からない、ここがどこなのかも知らない。そんな中、放り出されるような気持ちなのは当然だ。
 療養中九葉は娘と歳が近そうな部下らを監視につかせていた。ただ監視するだけでなく彼女の気分転換にと雑談などしていたようで、中つ国の事、九葉の役職、鬼丿府という組織が鬼から人の世を守っていること…など、ある程度の事は教えていたらしい。九葉の部下は妙に情に厚い連中が多く、日を重ねるうちに彼女の枕元には花が置かれ、髪飾りや手ぬぐいといった小間物が増えていた。僅かであっても、少し慣れた居場所に後ろ髪を引かれるのもあるのだろう。それらを風呂敷にまとめ、大切に抱える彼女は九葉の部下に連れられ病棟の廊下を歩いた。
 九葉の住まいは霊山の外れにあった。普段は、本部の執務室に詰めているので九葉が自宅に帰るのは、非番の時だけである。
 道すがら茶屋へ寄って団子を食べ、刈り取りが始まった田の脇を行き畦を進めば、木々の隧道を潜った先には大きな平屋の屋敷が見えた。周囲は濃いイヌマキで生け垣が作られ、門扉を押し開いて中へ入ると箒を持って掃除をしている女性が「あら、早かったですね」と、隊員に微笑んだ。

「九葉様はおられますか」
「部屋でお待ちですよ。そちらのお嬢さんが?」
「ええ」

 隊員の半歩後ろに控えた娘を、その女性は覗き込むと「はじめまして、お咲よ」と気さくに話しかける。「お世話に、なります」と小さく頭を下げると妙に嬉しそうに二人を部屋へ通した。
 ロの字に作られた邸宅には中庭があり、四季折々の木々や花が鯉の泳ぐ池の周りに植わっていた。手を広げたような小さな紅葉の葉先は僅かに色づき始めている。廊下を進むと隊員は「お咲さんは、この屋敷の家守り兼女中なんだ」と言う。九葉はこの屋敷に一人で住んでいるのだそうで、男やもめはたまた軍師業が忙しい九葉には家守りも必要ということだ。一番奥の部屋の前で留まったお咲は、膝をつくと「九葉様、おいでになられましたよ」と障子戸を引いた。
 筆を取っていた九葉は「きたか」と顔を上げた。隊員は九葉に頭を下げると部屋を出ていき、お咲も「お茶を持ってきますね」と席を外した。
 入口付近に正座をしたままの娘は、緊張しているのか顔が強張っていた。ある程度の事は部下から聞いてはいるだろうが、どうにも落ち着かない様子で部屋を見渡していた。彼女はじっと床の間を見つめた。先日生けたばかりの山百合があった。

「先ほどの女中が、生けたものだ」

 九葉は立ち上がると、床の間から平たい花器を持ち上げて娘の前へ置いた。茶や花にも興味があれば手ほどきを受けても良いし多少の教養は必要である。ともあれ、彼女の名を決めねばどうにも調子が悪かった。九葉は半紙に幾つか思いつく名を書き連ねると娘に見せた。

「お前の名前だ。気に入ったものを選ぶがいい。他にあればそれでも一向にかまわん」

 書き連ねられた丁寧な楷書を、娘は真剣に眺めている。しばらくしてとある一つの名前に視線はとまり、指を指して彼女はゆっくりと顔を上げ僅かに綻んだ。