落暉に燈episode.01

 霊山軍師は霊山君への絶対的な忠誠のもと職務を遂行する。その為、特別な権限の行使が許されていた。己が隊を持ち、時として里のお頭に代わり統制統治をも掌握できるほどの特権だ。
 軍師に求められるのは、冷静沈着、頭脳明晰、鬼や異界の知識にも長け常に俯瞰的に物事を捉えられる事であり、血も涙もない危機的状況にあっても<霊山にとって>最善の判断を下せる事である。
 その昔、モノノフ候補生から外れた九葉は、自身が鬼丿府組織に残るにはこの道の他は無いと考え軍師試験に挑んだ。日頃から兵法書や戦術書などを読み漁り、実地訓練よりも座学が得意だった彼は難なく試験を突破し、合格するや否や若干十五歳の軍師が十も二十も離れた手練モノノフたちの陣頭指揮を取ることとなったのである。
 当時、本部の端々では「何故にあのような青二才が…」とか「子供が隊の指揮を取れるとは思えん」などと、異彩を放つ少年軍師を疎む者も多かった。しかし九葉は後ろ指をさされても罵詈雑言を跳ね除け、早くからその才覚を遺憾なく発揮した。優れた状況把握能力と、冷徹ながらも的確な人員配置による異形侵入の阻止は、多くの犠牲を払いながらも急激な鬼の増殖から事実上霊山を前線より一層遠ざけたと、上層部から高い評価を得たのである。
 結果を出し続けた九葉は軍師就任より二十数年経った今でも、采配の冴えは衰えるところを知らない。若い軍師も毎年のように本部に詰めるが、今国中に名を轟かすほどの軍師は九葉か、識という陰陽方に肩入れしている軍師くらいのものだった。
 恐らく現役モノノフの中にも、軍師の椅子を狙っている人間は大勢いるだろう。立場の違う人間からすると、軍師とはどうにもふんぞり返り、威張りくさっている様に見えてしまうらしく、その特別権限欲しさに「軍師」という役職ばかりに目が向いてしまうようだ。実際はその重責と同等、いやそれ以上の仕事が昼夜山積しているのが現状である。事務方、戦略、隊の統率、隊員たちの練度と士気の維持等、自らが隊を動かすとは即ち付随する全てのことに四六時中神経を注がねばならない。軍師のさじ加減ひとつ、己の判断による僅かなほころびから、隊の存続、ひいては国の存亡に関わるかもしれないという気概で以て、日々努めている。

 つまり、隊を率いた道中の小さな変事ひとつ取っても、何かの前触れではないかと、九葉は思うのだ。

 先頭を行っていた隊員が「女が一人倒れています」と報告にくると、九葉は本日二度目の下馬をした。このご時世、道端で人が野垂れ死ぬ事はどの里でも起こる事で、住処を追われた人間が瘴気に蝕まれ行き倒れたり、瘴気から逃れたとしても飢えで事切れるのは日常茶飯事である。
 部下たちは呼吸を確かめると「まだ息はあるぞ!」と、救護隊が手際よく手当てを始めた。先般行き倒れていた者は、既に死後幾日かが経過していた為そのまま路端に埋葬し、手を合わせた隊員らは我が事のように心を痛めていた。モノノフとして自らの働きを悔やんでいるようにも思え、九葉は「貴様らが鬼を一体滅した処で救われぬ命だったに過ぎない」と言ってやったのだ。側から見れば情のない人間と思うだろうが、魑魅魍魎を相手取り常に死と隣り合わせの中、ひとつひとつの灯火が消える度に己の至らなさを嘆いていては、モノノフ自身も潰れてしまう。
 そんな中この女は実に運が良かったとしか言いようがなかった。辛うじて生きている上に、九葉の隊が通りかかったのだ。
 九葉は、女の素性が分かるものはないかと周囲を見渡した。荷物などは特に見当たらず、着の身着のままといった様子だが草履すら履いていない。この状況に九葉は妙な違和感を感じていた。他の隊員らも首を傾げ、女の周囲を不思議そうに伺っている。一人の隊員は落ちていた着物の端切れを手に取ってしげしげと眺めていた。
 倒れていた女は、薄手の単一枚だったと思われるのだが、その着物はところどころ穴が空き、穴の周囲にはまるで火の粉を浴びたかの様な大小焦げたような跡があり、落ちている着物の切れ端も、僅かな焼け跡を縁にぐるりと携え紙吹雪のようにそこら中に散らばっていたのである。「火を吹く鬼にでも遭ったか」そう思ったが、女自身の身体には火傷の跡はひとつも見あたらなかった。そのかわり手首や上腕、首周りは縄か鎖のような物で縛られたような跡が残っている。囚われの身か、あるいは罪人か…。隊員たちも想像の範疇は恐らく九葉のそれと似たようなものだろう。ともあれ、この場であれこれ考えていても仕方がない。詳細を聞くにもまずは娘が回復へ向かうのが先だ。九葉は、息がある内に霊山まで運ぶよう命じ再び馬に跨った。

 一刻ほど進むと、ようやく霊山が現れた。
 霊山は、深い森の高台にある。生い茂った木々の天辺より櫓屋根が見え、更に上の方に霊山君が住まう立派な本殿が見える。白い漆喰の壁が美しい重厚な建物は、その櫓で四方を囲まれ、近衛と呼ばれる神垣の巫女専属の部隊が日夜霊山君の守護を司っていた。町や居住区は本殿を囲むようにしておおよそ城下町のような作りだ。扇形に広がる町並みは、細い道が迷路のように入り組んでいる。有事の際、安々と巫女のいる本殿まで敵が到達できぬようにとの事だが、万が一にも鬼が攻めてくれば、全く無意を成さないと九葉は思っている――。
 巨大な霊山の大手門が鈍い音させて開くと、帰還した大所帯は多くの民に出迎えられた。今回の遠征で九葉の隊は十名弱の殉職者を出している。民らは既にその報告を瓦版より知り得、帰還を待ちわびた親類縁者の安否を確認すべく沿道には人垣ができているのだ。
 霊山周辺の掃討作戦成功を称える声もあったが、時折その中から嗚咽混じりに知らぬ名前叫ぶ人が見受けられる。九葉は地面に蹲る初老の女性を視界に入れたが表情を変えず手綱をしっかりと握り、馬の腹を蹴った。背には怒りを含ませた叫喚が幾度もぶつけられたが、構わず隊を引き連れ本部へ入った。

 霊山モノノフ本部は、丁度訓練生の受け入れの時期で、実地訓練の隊や教官、任務に出かける隊員らでひしめいている。
 お役目どころへ向かうと、本部では見慣れない連中がいることに九葉は眉を寄せた。滅多に陽の下に現れない陰陽方の長老たちが、仕立ての良い着物を翻し、隊員たちを品定めするかのように見物しているではないか。
 陰陽方はその昔、鬼を利用した後ろ暗い研究を行っていたと聞く。鬼からミタマを剥ぎ取る実験だったり、そのミタマを別の鬼へと移し替えたりという訳のわからない研究を行っていたらしい。人の道から外れた陰陽方と、真正面から人を守る立場にあった鬼丿府とは相いれぬ深い溝があった。それは今でもしこりの様に残っていて、若いモノノフたちは、真偽の程があやふやな噂を真に受け陰陽方を気味悪がっているのだ。
 長老たちは帰還した九葉に気づくと「待っておったぞ」と言って、手招いた。報告を後回しにして九葉は渋々従った。

「私に何か」

 一人の長老が「そんな恐ろしい顔をするでない」と言い、白々しく労いの言葉を掛けた。

「今回もよくやってくれたな、九葉殿。実はな、近々特務隊を新規創設しようと決定してな。その指揮をお主に任せたいのだ」
「特務隊…、ですか」

 長老は「左様」と言ってゆっくりと頷くと経緯を掻い摘んで話した。

 鬼の個体能力は瘴気や出現地域によって大きく左右される。
 濃度の高い場所では、その皮膚はまるで鎧甲冑の様な強度を誇り、鍛錬や練度の乏しい戦闘員では皮膚を穿つことは愚か、かすり傷一つ付けることすら叶わない。生命力が剥き出しになるタマハミ状態にまで追い詰めるには相当の時間を要し、その間に行動限界を迎え死に至る確率の方が大きい。
 こうした鬼の能力差は、魂を取り込んだ、つまり食った数にも関係していると思われ、特に偉人のミタマを喰んでいた大型鬼は体力、知力が他個体よりもより顕著に上回っていると推察されている。こういった背景から、強力な鬼にも難なく対峙できるモノノフを迅速に育成し、より鬼の殲滅に特化した部隊を編成することが急務だとの結論に至ったらしい。よくもまあ簡単に決めてくれたものだと、文句の一つも言ってやりたかったが九葉は喉元まで出かかって飲み込んだ。そもそも一朝一夕で練度の高い部隊などできるわけもないし、既に霊山には精鋭揃いの霊山百鬼隊があるのだ。百鬼隊を増強すればよいのではと意見したが、百鬼隊は百鬼隊で増強し霊山を守護すると共に、且つ特務隊も編成したいらしい。二重の防衛線に九葉はようやく事態を飲み込んだ。要はより霊山の安全確保の為、緩衝材となる捨て駒の隊を作っておこうという腹積もりなのだ。鬼をいじくり回している割に、随分と勝手な事である。
 陰陽方には九葉をよく思わない長老も多いのもあるだろう。
 尚も長老は九葉の腕をぽんぽんと叩いて「あとは任せたぞ」と言うと、満足げに本部を出ていった。
 
 久方ぶりに自分の執務室に戻った九葉は、頭を悩ませた。本部に長老たちが自ら赴いていたのは、自分たちの目で特務隊の編成を試みたからだろう。長老たちの言いなりになる事は避けたいが、従わなければより多くの戦力を無駄にしかねない。安穏といつでも茶が出るような場所に居る連中が、好き勝手に隊員を引き抜いて即席特務隊を編成してしまっては、他の部隊にも痛手である。どこも人が足らない状況には変わりないのだ。やはり暗に九葉の隊を特務隊にせよとの答えなのだ。
 外はいつの間にか薄闇が押し迫り、夕陽は水平に細く残るばかりである。手元も暗くなり、火を灯した九葉は筆を手に取って長老宛に書面をしたためた。門を潜った時の初老の女性が自然と思い出されていた。益々屍の道を己は辿るのだなと自嘲した。