第一章
19.仲間の魂

 本部までの道筋、身に起こっていた不思議な事象を大和に話した。動揺する旭陽の説明は支離滅裂な上にまとまりながない。それでも大和は掻い摘んで状況を把握してくれ、すぐに桜花と那木が呼ばれた。心もとない本部には木綿が明かりを灯してくれている。旭陽があまりにも焦って大和宅の戸を叩いたので、彼女は心配でついて来てくれたのだ。
 桜花は眉間に皺を寄せ、揺れる松明のように怒りを露わにしていた。

「お頭、すぐに後を追います。富嶽のやつ、一人で行くなど一体何を考えているんだ」
「頼んだぞ。那木も行ってくれるな」
「勿論でございます」
「皆さん、くれぐれもお気をつけて…」

 木綿に送られ、桜花、那木、旭陽の三人は薄明かりの中飛び出した。

 富嶽を探し出すに当たり、どう手がかりを掴むかに頭を悩ませたが、それはすぐに解決した。旭陽の天狐だ。
 二股の尻尾は上下左右にゆらゆらと揺らし、三人の前を行く。途中幾度か立ち止まりながらも、天狐はしっかりと富嶽の匂いを辿ってくれた。
 このあたりの異界は、常夜の様な薄暗さで江戸時代に建てられた建物が多く散見される。長屋や商店、その他関所や大店は泰平と栄華を極めた城下の景色を形取り、枯れることのない妖麗な桜は各所に咲き乱れ人気のない通りを彩っていた。
 朽ちた石垣や、城壁、櫓と次々に横切ると天狐は橋の袂で歩みを止めキュイとひと鳴きし、進行方向右手をじっと見つめていた。この三叉路を西に行った先には空き地がある。そこは楼閣を見上げる背高い石垣の裏手だ。三人は辺りに十分気を配りながら天狐の後に続いた。建物の影になった空き地に目を凝らすと中心にはぽつねんと見慣れた後ろ姿があった。桜花がいの一番に駆け出した。

「富嶽っ!」

 桜花の呼びかけに富嶽は豆鉄砲を食らったような顔をしていた。誰にも告げず里を抜け出したのだから困惑するのも無理はない。富嶽は、桜花に続いて那木を見遣った。次に旭陽を視界に入れた瞬間、酷くバツが悪そうに顔を歪めた。

「てめえら、なんでこんな所に…」
「なんでじゃない!一人で一体何をしているんだ!無謀にも程がある!」
「富嶽様、お一人で鬼を探しに出かけるなど危険です。相談してくださればいつでもお供しましたものを…」

 那木が悲痛を訴えるも富嶽は反論しなかった。代わりに何を察したのか、弾くように顔を上げ暗雲渦巻く空をじっと見つめた。旭陽も空を仰いだ。何か大きな生き物が旋回しているのがわかる。その影の中心では青い光が明滅を繰り返していた。富嶽は手にしている双子石を宙へ掲げる。すると双方の光は惹かれ合うようにして更に強くなった。
 頭上を飛んでいる羽つきの鬼、それは間違いなくホオズキの里を襲いその一切をくらい尽くした鬼、ダイマエンだった ──

「はははは!やっと会えたぜ!デカブツ!仲間の魂、返してもらうぜ」

 ダイマエンは、重厚な羽を水平に広げ輪を描き飛んでいる。舌なめずりをするかのように眼下の旭陽たちを見下ろしていた。かと思うと、急に頭を下げ高度を落とし始めた。巨体は速度を上げ鋭い嘴は富嶽目掛け突進してくる。膨大な砂塵を巻き上げながら趾を地へ突き刺した鳥型の鬼は、一度天へ向かい吼えた。雷鳴の如く空気を震わせると同時に両翼で八の字を描き、凄まじい爆風を生み出す。地表の砂は突風に煽られ、竜巻を思わすかのような風の柱を四方に放ち、旭陽の頬には砂粒が鞭のように叩きつけた。桜花と那木は前かがみになって腕で顔を防いでいる。まともに目も開けられず踞っていると富嶽は旭陽に怒鳴った。

「旭陽!避けろ!」

 顔を上げた旭陽は一瞬何が起こっているのか理解できなかった。ダイマエンの嘴から人の頭の倍はある岩石が吐き出され、砕かれたばかりの角角しい石は弾丸の如く旭陽目掛けて飛んで来るのだ。慌ててぎゅっとと目をつむり身を低くかがめる。瞬間、脇腹をぐいと持って行かれた。薄く目を開けると、富嶽が旭陽を地面からすくい上げダイマエンから距離を取っていた。滅多に富嶽が必死な様を見ることはないが、今に限っては別だ。息を切らし余裕がない。

「馬鹿野郎!避けろっつってその場にしゃがむ奴があるか!距離を取りやがれ!」
「す、すみません!」

 富嶽は旭陽の前に立ちはだかった。無理に笑みを浮かべる様が異様に不気味だ。彼の目とその表情はうまく合致していない様に見える。ぎらぎらとした眼光は迷いのない仇への殺意を孕みつつも、因縁との再会に喜び、また全てを失った日を思い出し、薄い笑みと強張った表情が代わる代わる移り変わっていた。
 その様子に、旭陽は己を叱咤した。富嶽が一人里を飛び出したのは、仇を討つ為その理由以外他ならない。旭陽が足を引っ張ってはならないのだ。何もかもが終わっていた絶望や、仲間を失った虚無を再びこの場で起こしてはならない、二度と富嶽にそんな思いはさせてならない。旭陽はしっかりと立ち上がると大きく息を吸い、堂々と富嶽の隣に立った。ダイマエンは四方に散らばるモノノフたちへ照準を合わせるのに少しまごついている。

「富嶽さん、すみません。私の矢で鬼の目ん玉を射抜いてやりますから、存分にあの鳥野郎をぶん殴ってください!」
「はっ、言うじゃねえか。途中でへばんじゃねえぞ!」

 ダイマエンがぴたりと動きを止め富嶽に狙いを定めた。それが合図だった。隙を逃さず抜刀した桜花が向かい側からはぁっ!と勇んで刃を振り下ろす。見事、大翼に深い傷を負わせると那木が放った矢は鬼の額を貫いた。ダイマエンは空が破れるほどの声を上げ喚き散らし、だらりと羽を地につけ巨体を震わせる。すかさず旭陽も追撃し、一射絶命の気概で以って矢を射った。富嶽は正面から鬼の足をもぎに掛かっている。間断なく繰り出される拳、その一撃一撃は重いようで、めり込む度にダイマエンは後ずさった。だが、鬼もしぶとく食い下がる。羽を大きく広げたかと思えば宙に舞い上がった。旋回しながらまた岩を吐き出し、旭陽たちに逃げ場を与えさせない。地を穿ち、凹凸になった地面に足を取られ、飛び退いた桜花が後方に倒れた。

「桜花様っ!」

 那木の声に旭陽は矢を射続けた。桜花から鬼の注意を逸らすことに必死だった。万一の事など考えてはいけないのに雑念がわき、額からは汗が吹き出、矢筈を挟む指は震えていた。
 ダイマエンを倒し富嶽を、皆を里に連れて帰る。旭陽の決意はなぜだかいつも以上に硬かった。
 仇を討ったらどこか旅にでもいきてえなと呟いた、あの晩がふと思い出されていたのだ。息吹や、那木と同じく、富嶽も過去に囚われずとも良い、少女の声も富嶽を助けてくれと言っていた。彼は自分のことを間抜けだと言っていたが旭陽は決してそうは思わない。最後までホオズキで戦い抜き、一人になった今もこうして鬼と対峙している。全てを終わらせるのが今この時だ。これ迄幾度も戦場で助けられた旭陽が、今度は富嶽の背中を護る番だと息巻いた。
 ダイマエンの注意が此方へ向いた時、富嶽に向かって岩が飛んでいた。旭陽は息を整え、狙いを定めた。富嶽の眼前を旭陽の矢が水平に走り抜け、岩に当たると上下に割れる。覗いた隙間から富嶽はニヤリと笑みを浮かべた。

「やりやがる!」

 渾身の力を込め、富嶽はダイマエンの顔面に拳を浴びせた。鬼の向かいに居た桜花は立ち上がり、すっと一呼吸すると真一文字に太刀を薙ぎ足を斬った。ダイマエンは満身創痍だ。タマハミし赤紫色に変色した足と胴は真っ二つに切断され、ダイマエンは仰向けに倒れる。富嶽も負けじと更にもう片方の足をもいだ。旭陽が最後に放った矢が、目を抉る。絶叫と共にダイマエンは羽をばたつかせると、富嶽は全身全霊の一撃を食らわせ止めをさした。暴風と咆哮に轟々と喚いていた周囲の空気は、緩む緊張と共に徐々に収まり静けさを取り戻していく。ぴくりとも動かない鬼を前に富嶽は息を荒げ、今だその拳を構えたまま立ちすくんでいた。旭陽もまだ動悸が激しい。那木が恐る恐る口を開いた。

「終わった…、のでしょうか」

 その時、ダイマエンの体から、ふわふわとした白いものが次々と宙へ舞い上がっていた。旭陽は見たことがあった。淡く、強くの明滅を繰り返し、天に導かれるようにしていつかの蛍と同じく上へ上へと舞い上がる。富嶽はその一つ一つと会話をするかのようにじっと見つめ「食っちまうぜ」と呟いた。これらは全てホオズキの里で鬼に食われた魂だろう。こんなにも沢山の人が、ダイマエンに食われていた。そう思えば旭陽は居た堪れない気持ちになった。戦友との武勇も、里の人との穏やかな暮らしも、そして神垣の巫女との優しい思い出も、その全てを抱え富嶽は一人生き残り、鬼と対峙した。ようやく、彼らを鬼の腹から開放し成仏させられるのだ。空へ向かう人々もほっと息をついたことだろう。きっとこの中に、旭陽へ呼びかけていた少女の魂もあるのだ。感慨無量、胸が一杯になった旭陽は鼻をすすった。いつの間にか側に立っていた桜花は「お前もよくやったぞ、旭陽」と言って肩に手を置いてくれた。

「良かったです…本当、良かったです…っ…」
「何でてめえが泣いてんだよ。ったく勇んだりめそめそしたり騒がしいったらねえな」

 照れくさそうに頭の後ろをかいた富嶽は帰るぞと言って里への帰路を辿った。
 里に入ると辺りは明るかった。陽は昇りとうに朝食の時間は過ぎ、ウタカタはいつもの一日を迎えている。本部に戻ると、大和と木綿はずっと待機していたらしく、富嶽の帰還をほっとした様子で出迎えた。富嶽も黙って出ていったことを気に病んでいる様子だ。大和を視界に入れるなり頭を下げた。

「すまなかった。桜花たちには随分世話んなった」
「何が世話になっただ、富嶽。当然のことだ。ただ、身勝手だったことは否めんな」
「面目ねえ」
「だが、よくやった。お前にしか出来ない大仕事だった。疲れただろう。皆も体を休めることだ」

 大和は、無事の帰還を見届けると執務があると言って本部を出た。木綿は少し眠そうにしながらも、お茶淹れてきます!と笑みを浮かべ勝手方へと駆けていく。木綿の心遣いに、富嶽、桜花、那木も勿論留まるほかはない。桜花と那木は彼に何と言葉をかけてよいのか考えあぐねている様子だった。勿論、旭陽もそうだ。お疲れ様でした。では配慮に欠けている気もする。だからといって彼を心配するのも微妙に違う気もする…。言葉を選び暫しの沈黙があった後、一番に口を開いたのは富嶽だった。

「てめえらには随分世話掛けたな…」
「気にするな。里のモノノフとして当然の事をしたまでだ」
「那木は、富嶽様のお力になれて嬉しゅうございます」

 那木の後に旭陽が続くかと思ったが、旭陽は顔を強張らせじっと富嶽を見つめていた。勝利の余韻に浸るというよりもまだその先に気がかりがある、とでも言いたげな様子だ。富嶽は察したのか、眉を下げた。

「富嶽さん、これからどうされるんですか…」

 桜花と那木は不意をつかれ顔を見合わせていた。そう、元々富嶽は仇を討つ為にウタカタに来たのだ。件の鬼は無事葬り、ホオズキの人々の魂も開放された。富嶽には選ぶ自由がある。旭陽たちはあまり強くは言えないのだ。
 うつむき加減の旭陽の頭に富嶽はぐいと手のひらを押さえつけるようにして乗せた。

「旭陽、てめえがちびすけの声を聞こえて無けりゃあいつを見つけられなかった。貸しがある」
「富嶽さん…、それじゃ…」
「ああ、ウタカタにはもう暫くは世話になろうと思ってる。この拳で良けりゃ、いくらでも加勢してやるさ」
「わたし…!私!富嶽さんがすぐにでも、旅に出てしまうんじゃないかって、内心はらはらしてて…、本当よかったです!」
「ったく、調子のいい奴だ。すーぐ元気になりやがる」

 桜花も那木も二人のやり取りを微笑ましそうに眺めていた。すると、木綿が戻ってきた。盆には湯呑みとおにぎりが人数分乗っている。それを見た瞬間、安堵も相まって一気に空腹感が襲っていた。旭陽の腹がぎゅるりと鳴った、その時、富嶽の体から青く光る球体が飛び出し、旭陽の身体に取り込まれた。木綿は立ち止まりぽかんと浮遊する光を見つめ、富嶽は大層驚いている。桜花は何度も瞬きをしていた。三者三様の反応に那木はくすりと笑うと嬉しそうに説明した。

「心の通じる者に行われる分霊でございます。富嶽様」
「分霊、だと。ったく綱の野郎、勝手なことしやがって…。おい、旭陽。てめえに預けるからにはこの先負けんじゃねえぞ」

 旭陽はミタマが吸い込まれた胸の辺りを手のひらでさすった。頭の中では、毎度恒例ミタマ自己紹介が始まっている。
 渡辺綱は平安時代の武将だ。源頼光の配下であり、頼光四天王の一人である。富嶽も随分な剛将が相棒だったものだ。一騎当千並みのモノノフであるのも納得が行く。しかし、ますます賑やかになりそうだ。

「わ…、分霊。実は那木さんからも分霊して頂いたんですよ」

 那木は「はい」としとやかに頷く。おにぎりを配り終えた木綿が不思議そうに旭陽を見つめた。

「ミタマって、モノノフ一人に一人、って聞いていましたけど旭陽さんは、本当にいくらもミタマを宿せるんですね…」
「私も驚いています…。私大丈夫でしょうか。こんなに沢山の偉人を抱えて…」
「そりゃ相応に励めってことだろ。せいぜいきびきび働くこった」
「はい…、精進いたします」

 木綿も交え、四人は暫く歓談した。厳しい鬼との一戦も勝利を収めてしまえばたちまち笑い話にもなってしまう。あの時は危なかった、あの状況でひっくり返せたのは鍛錬の賜物だ── などと、危機的状況が武勇伝へと変わるのは常だ。話は大いに弾み、昼を過ぎてすっかり夕方も近くなっていた。見回りのモノノフ隊員が交代の時刻を迎えた頃、ようやく皆が腰を上げた。
 旭陽は最近思うのだ。幾つもの死線を共に越えれば、何故かその分彼らと離れがたくなってしまう。これが富嶽の言っていた戦友なのだろう。だがその絆が深まると、旭陽はふと現代を忘れてしまいそうになる。本当はずっと戻りたいと思っていたが、皆との別れが次第に辛くなってくるのだ。それが今はまた、別の意味での別れを恐れている。モノノフはいつも死と隣合わせだ。この時を共にしていても次の瞬間には── 旭陽はそこまで考えて頭を振った。こんな弱気なことを考えていてはこの先過ごしては行けない。ウタカタのモノノフは強く逞しい。それに自分よりも他人を優先してしまうような、心優しいモノノフばかりだ。富嶽が言ったように職務に励み旭陽も鍛錬を積めばいい話である。そうすれば、少しは皆に頼られるモノノフで在れるし、皆を守ることもできる──

 旭陽は立ち上がった。ひと仕事を終え気が緩むと大きなあくびが出た。
 しかし家へ帰ろうとしたのだが、ふと本部入口に続く橋の中頃に、速鳥の姿が目に入った。今しがた任を終えたのだろう。旭陽は「速鳥さーん!」と声を掛けた。いつもなら軽く手を掲げ応えてくれるがどうも様子がおかしい。足元を確かめるようにして静かに帰還した速鳥の表情は、顔が半分隠れていても分かる程険しかった。目も合わさずじっと床を見つめ、少し思い詰めた様子が余計に心配だ。木綿もいつもと違う速鳥の様子を感じ取り、旭陽の後ろから顔を覗かせた。

「速鳥さん…?どこか具合でも悪いです…?」

 速鳥はちらりと旭陽を見遣ってすぐまた逸らした。

「木綿殿、お頭は執務中だろうか」
「はい、部屋に居ると思います。何か…あったんですか」
「旭陽殿、皆を本部に集めて欲しい」

 思い詰める速鳥の言葉は、暗雲垂れ込める予兆に過ぎなかった。