三段に重ねた正方形の木箱を抱え、旭陽は本部へ続く石段をよろけながら登っていた。
中身はそう重くはないが、いかんせん視界が悪く、足を動かす度に抜刀寸前の剣士が如く足を地に擦りつけ障害物を確認してからまた反対側の足を出すという端から見れば奇妙な動作を繰り返している。こうなったのも全て息吹が原因だ。
里は今、節分祭の準備で大忙しだった。節分祭は「鬼はそと福はうち」の掛け声と共に、里の平和と鬼ノ府や民の無病息災を祈る伝統行事だ。旭陽も豆を撒いたことはあるので節分は知っている。
だが、鬼討つ鬼の異名を取るモノノフにとっての節分は、一年で最も盛大な祭りなのだ。期間中、里には多くの人が出入りし、露天や行商の店、旅芸人の一座による舞台なども予定されているらしい。日々、結界の中で怯えながら暮らす分、この時ばかりは厄を払って酒を飲み、何もかも忘れて楽しみ鋭気を養うのだ。
そんなわけで里のモノノフも日常の任務に加え、祭りの準備に追われている。
ところが先刻、鬼の面を倉庫から本部まで持ってくるよう大和に言われた旭陽は、倉庫で息吹と遭遇した。彼は隊員を連れ豆まき用の衣装を取りにきたらしい。先日からかわれた件もあり、最近の旭陽は息吹に少々冷たい── との本人談だがそれはさておき、一方の旭陽は何しに来たのかと問われた。面を取りに来たと答えれば、息吹は思いつきを発動したのだ。
「よし、じゃあじゃんけんして、負けた方が荷物を全て本部に運ぶことにしよう。そうすれば、他の仕事ができるだろ」
「…まさか、さぼりたい口実じゃないですよね…息吹さん」
「そんなことするわけ無いだろう。俺はじゃんけん弱いから、大丈夫大丈夫!」
全くの嘘だった。勝負の結果、旭陽が負けた。隊員たちは気の毒に思い、手伝おうとしてくれたが意地を張ってしまった。おかげで面の入った箱と、息吹が運ぶはずだった衣装箱とを、こうしてよろけながら運んでいる始末だ。すぐ感情的になる自分にため息をつきながらも、旭陽はようやく階段を登り切った。
本堂へ入ると、受付に大和と木綿が居るのが目に入った。旭陽の不安定な歩みに、木綿は一目散に駆けてきてくれる。面の箱は一つだ。「そんなにたくさんありましたか?」と首を傾げる木綿に経緯を話せば、大和と共に苦笑いをしていた。
蓋を開けると、大小様々な顔をした木製の鬼の面が入っていた。これらは全て赤や青に塗装され、牙があったりなかったり、角も一本だけのものもある。これから傷んでいるものは修繕し、汚れているものは綺麗にしていくのだ。
木綿と共に面の数を数え始めていると、ふと側方より視線を感じ旭陽は首を捻った。
そこは秋水の資料室兼、仕事場がある。相変わらず長机に向かい、涼やかに資料を読んでいた。研究員の彼は日々の討伐や鬼の出現場所を収集、また、時季的な傾向や効率的な討伐方法を模索し、鬼の生体などを研究するのが仕事だ。節分で楽しげに浮かれる里にあっても、勿論モノノフ同様日頃の業務を休むわけには行かない。研究員が一人である分、交代制の旭陽たちより仕事量は明らかに多いのだろう。度々腰を上げ、書棚の背表紙をなぞり本を数冊抜いては、熱心に文字を追っていた。
感じた視線は気のせいかと再び手元に視線を戻した時、顔を上げた秋水と旭陽は目が合った。ににこやかに微笑む秋水に、ぎこちないながらも旭陽は会釈で返した。どうも、先日の盗み聞きが秋水に気づかれていないかとそわそわしてしまう。
神木側の石段で秋水と橘花の “密話” をたまたま耳にした旭陽は、あれ以来ずっと二人の様子が気になっていた。今のところ、別段変わったことは起きていないし、秋水が話していた内容も旭陽はいまいち理解できていない。想像だけで判断するのも時期尚早なので、任務後速鳥と話をしようとも試みたが、なかなか会うことがなかった。
顔が強張っていたのか、木綿が心配そうに旭陽を呼んだ。いつの間にか大和は居なかった。舞台などを設置する広場を見回りに行ったらしい。面の埃をぬぐい、木綿は言った。
「そういえば、桜花さん、もうすぐ復帰できるそうですよ」
「本当!?」
「ええ、お医者様ももういいだろうって」
「よかった…。橘花さんも喜ぶでしょうね」
「早速お頭が話したら、節分祭は一緒に露店を回るんだって言っていたそうです」
笑った木綿がまたひとつ箱からお面を取り出した時だった。本部に初穂が入ってきた。見回りから戻ったらしい。
「お疲れ様!あ、お面出してるのね!」
初穂は、木綿の手にしていた一段と古びた赤鬼のお面に釘付けになっていた。他のお面よりも厳つい表情をしている。しゃがみこむとどこか懐かしそうに見つめていた。
「これね、小さい頃の大和が一番嫌いなお面で、節分の時はべそかきながらずっと里中を逃げまわってたのよ。今思い出したらおかしいし、何だか懐かしいわね」
「ふふ。お父さん、小さい頃は怖がりだったんですね」
くすりと笑い合う木綿と初穂に、旭陽はきょとんとしたまま話を聞いていた。彼女たちの会話にぽんぽんぽんと疑問符が頭上に浮かんだのだ。
何故、初穂は大和の幼少の頃に詳しいのか、懐かしく思うのか、と素朴な疑問だ。初穂と木綿はそう歳も変わらないはずなのに、まるで初穂は大和と同年代であるかのような口ぶりであるし、あたかも見てきたかのように木綿に話して聞かせている。だが、大和はとうに五十を過ぎた壮年だ。初穂の言葉に旭陽は違和感があった。
思い起こせば、初穂は上官である筈の大和を「お頭」と呼んでいるのを見たことがない。
木綿も当たり前の様に初穂の思い出話に耳を傾けているが…大和の幼いころに初穂はうまれていない筈なのに、その錯誤にはどうもひっかかりを感じる。整理をつけようと試みた旭陽だったが、絡まった糸が頭に詰め込まれただけだった。
「旭陽さん?」
手が止まる旭陽を木綿が覗き込んだ。旭陽は、疑問を口にする手前だったが、言葉を飲み込んだ。
「あ、ううん!大丈夫大丈夫!残りの埃拭ったら、私、衣装の洗濯に行ってきます」
面を拭き終わった旭陽は、衣装の入った木箱を抱えるといそいそと本部を出ていった。
残された木綿と初穂は、旭陽の後姿を不思議そうに見送った。が、木綿は何かに気づいたらしく、急にはっとした表情になる。「初穂さん!」と言って顔を見合わせた。
「そういえば旭陽さんって、初穂さんのことご存じなかったですよね…」
「あ…、そうだった。旭陽それで…。でも不安にさせちゃうかもと思って…」
「確かに、旭陽さんもどこか時の狭間に迷っているような…感じもしますけど」
「でも、私と旭陽の状況は似てるところもあるものね…。ちょうどいい機会だわ。洗濯手伝ってくる」
洗濯場は、社の近くの湧水池ではなく、里を縦断する小川沿いにある。本部から行くと、正面の石段を降りた祭祀堂の裏手だ。短い桟橋の伸びる川辺には、東屋があり、中には物干し竿が設置されてある。里の者が共同で使えるようになっていた。
土手から河原に下りた初穂は、桟橋にしゃがみ、桶に水をはっている旭陽を見つけた。
「旭陽ーっ!!洗濯手伝うわよー!」
「ありがとー!」
旭陽の返事はいつもと変わらず明るい。初穂も並んで、桶に腕を突っ込んだ。暫く二人共無心になって洗っていたが、初穂はようやく切り出した。
「旭陽、ごめんね。さっきの意味分からなかったわよね」
「うん?」
「大和のお面の話。旭陽には言った方がいいかなって本当はずっと思ってたの。元居た場所へ帰るのと何か関係があるかもしれないって思ってたから」
初穂は、洗いあがった衣装を絞ると、ばさりと大きくはためかせた。裾や袖は風の流れる方へ大きく揺れる。何の話なのだろうか。旭陽は遠く上流を見つめる初穂を見上げた。
「実は、私ね、浦島太郎なんだ。四十年前から流れてきた…、浦島太郎なの。嘘みたいって思うかも知れないけど話、聞いてくれる?」
眉を下げ困ったように笑った初穂は話し始めた。
初穂は生まれも育ちもこのウタカタの里だが、それは凡そ四十年前に遡る。
まだ異界の広がりも鈍速で、女子供でも一人で外へ出かけられるくらいに里の周囲は鬼も出ず、安全だった。神木の恵みよって豊かに育った農作物を目当てに訪れる旅人も多かった頃だ。
当時、初穂の家の近所には男の子が住んでいた。生意気だったが、いつでも初姉と言って後ろをついてくるので、弟の様に思い面倒を見ていた子だ。それが現ウタカタのお頭、大和である。
その日も、初穂は大和に遊んでくれとせがまれたが、用事があったので誘いを断り里を出た。しかし、門を潜った途端濃霧に見まわれてしまった。陽光は葉葉に遮られ、林道に満ちる霧は益々濃くなり、ついに初穂は道に迷ってしまったのである。
探しても探しても里への道が分からず、初穂は喉を枯らし必死に助けを呼んだ。その時「誰かそこにいるのか」と、呼応する声が聞こえたのだ。安堵した初穂は、やっとのことで森を抜け出し、差し出された大きな手を取った。
夕暮れの茜色に染まる中、眼前で初穂の手を握る壮年の男性は、どこか覚えのある面影だった。眼帯をしていたので初めは疑ったが、目元は母親似、口元は父親似の凛々しい眉を携えた初穂の良く知る男の子だった人物だ。
相手も、あまりの驚きに暫く固まっていた。
「初姉…なのか…」
見つけてくれた大和がまるで狐につままれたかの様な顔だったのが、今でも忘れられないと初穂は笑って話しているが、たった数時間、霧に飲みこれていた間に、四十年もの時を駆け抜けてしまっていたのだ。迷い込んでいる間、里では神隠しだと騒がれ、やっと戻った里は既に両親や友人も亡くなり一人ぼっちになっていたのである。
衣装を物干しに掛ける初穂は、皺を伸ばした。
「どうしてそんな事になったのか、今でも分からないの。あんなに小さかった大和はすっかりおじさんになっちゃってるしね…」
旭陽は本堂での木綿と初穂の話にようやく納得がいった。と同時に不安が募っていた。この里から元居た場所へ戻れたとしても、初穂と同じように何十年もの時が経過している可能性が浮上したからである。帰った時、知った人が誰一人居ない孤独は想像したくはなかった。
俯く旭陽の肩に初穂はそっと手を添えた。
「旭陽、ごめん。不安にさせるつもりは無かったんだけど…。ただ大和が言うに、鬼は時間の流れを歪めるから、私はそれに巻き込まれたのかもしれないって…。だから、旭陽が現れた時、もしかしたらって思った。でも、もう少し早く伝えるべきだったわ。旭陽は必ず帰れるから、それまでは笑って里で暮らしましょうって」
「初穂ちゃん…」
「色々言うのが遅くなっちゃった。でも旭陽が知っていてくれると嬉しい、かな。あまりね、このこと知ってる人少ないの。大和と、木綿くらい?かな。もしかしたら秋水にはバレてるかもしれないけど」
肩をすくませて、初穂はまた一枚衣装を広げた。
「話してくれてありがとう、初穂ちゃん。ウタカタの生活は、初めは怖いことばかりだったけど、今は毎日楽しいよ」
「よかった!私はお姉さんだから、何でも相談してね」
旭陽は里の昔話に耳を傾けつつ、二人は大量の洗濯を終えた。
その後も、日頃の仕事を粛々とこなしつつ、いよいよ節分祭の期間に入った。旭陽の想像以上に、里の祭りは派手だった。民家の玄関先には前衛的で異国情緒溢れる派手な飾りつけがなされている。正月や七夕の装飾品を一同に介したといった風だ。これらは厄を払う為のものであるらしく、鬼ノ府総本山の霊山では更に、鬼神の仮面を被ったモノノフたちが市中を練り歩くのだそうだ。
そう教えてくれたのは桜花だ。無事に療養所を出て普段の生活に戻った彼女は、本日橘花と露店を回る約束をしていたが、生憎橘花は霊力を使いすぎて疲労しているとのことで、桜花は休むように言いつけたのである。
今頃拗ねているだろうなと、隣を歩く桜花は仕方が無い様子で笑っていたが、案じているのを隠しているようにも見えた。
旭陽と桜花は暫く露店を見て回ることにした。金魚すくいや、射的、飲食店などが里の入口からずらっと店を構えている。通りを歩きながら、桜花は随分楽しそうだ。長い間療養所の中で退屈をしていただけあり、久々の外、しかも祭りとあっては目移りもするだろう。こうして日常を取り戻した桜花だが、旭陽はずっと心中引っかかっていた事をやっと告げようと心に決めていた。
急に立ち止まった旭陽を、先を行く桜花は振り返り首を傾げている。旭陽は頭を下げた。
「桜花さん!ごめんなさい。私、何も考えなしに、鬼を探しに行きましょうなんていっちゃって、桜花さんに大怪我させてしまって…。本当に、本当にずっといわなきゃって思ってたんです…」
「旭陽…」
桜花が快方へ向かい始めた時、危険に晒した原因が自分にあると気づいた旭陽は早くに謝ろうと試みたが、ぽっと出の新米モノノフの発案を承諾してくれた大和や、桜花の見舞いに来た橘花を悲しませたのを目の当たりにし、謝罪は雁字搦めに拘束されていた。
本来なら桜花が一番に旭陽を攻めても良いはずなのに、彼女はいつも病室で笑って迎えてくれたのだ。
「お見舞いに言ってもなかなか言い出せなくて…、本当にごめんなさい」
「顔を上げてくれ、旭陽。気にするな。囮の隊を命じられたのは私だ。いつでも覚悟はできて ─」
「そんなこと…言わないで下さい…」
「すまない。だが、本当に気にするな。今はもう元気だ。それにこんな大通りで泣いていると、笑われてしまうぞ」
桜花は、旭陽の頬を拭うと、今一度いいんだ。と言って旭陽の肩をぽんと叩いた。橘花へ土産を買いたいから一緒に手伝ってくれと微笑んだ。
二人は小間物屋に立ち止まった。赤い風呂敷の上には螺鈿やべっ甲の可愛らしい簪が並んでいた。旭陽は、その隣に置かれた丸い半透明の飴色の石を摘み上げた。その模様が少々爬虫類の目のようだったので、旭陽は思わず目が引いてしまったのだ。桜花も珍しそうに、覗きこんだ。
「これは琥珀だな。変わった模様をしている」
「これが琥珀ですか…。なんかもっと蟻とか昆虫が閉じ込められてるの想像してました。目みたいな模様ですね」
旭陽が空に掲げ、腫れぼったい目で光の屈折を覗き込むと桜花はおもむろに何かを唱え始めた。
─ 東の果てよりムスヒの君来たりて
─ 八百万の御霊を結び
─ 鬼という鬼を祓えり
桜花は、目を細めると自身の手のひらの琥珀を見つめていた。
「今のおまじないか何かですか?」
「いいや、この変わった模様の琥珀を見て、鬼ノ府の始祖のことを思い出していた」
「鬼ノ府の始祖…。じゃあ、鬼ノ府を作った人ってことですか」
「そうだ」
鬼ノ府の始祖は「ムスヒの君」といい、不思議な金眼を持っていた。その昔、人々から隠れつつ、鬼を払って暮らしていたのだ。だが、人は鬼を払えるほどの力、その異能の才を恐れた。人から忌み嫌われたムスヒの君は、土地を彷徨い、流れ着いた中つ国で鬼ノ府を作った。それがモノノフの始まりであり、古くから桜花たちが聞かされてきたムスヒの君の英雄譚、昔話である。
「人に追われながら人を守ろうとしたムスヒの君はどんな想いだったのだろうな…。その流れからか、ずっと昔の鬼ノ府は“鬼はうち”と言って節分祭をやっていたそうだ」
「鬼はうち…」
「そう、鬼は我ら鬼ノ府が引きうけ、民に福をまくと言った意味合いだろう。祭がこのように賑やかなのも、人を守ったムスヒの君と御霊に感謝を捧げるためでもある」
「ムスヒの君は、本物の英雄ですね。普通嫌われたら現場ほっぽって逃げちゃいますよ…。私は怖い、かなあ…」
「旭陽はそういいながらも、なんだかんだで向かっている。随分、モノノフらしくなったと、私はそう思う」
「桜花さんに褒められると、嬉しいです…。上官殿!」
旭陽が敬礼をすると、桜花は不思議そうに眺めていたが、息吹が移ったんじゃないかとからかわれてしまった。先般より、旭陽に映る息吹は、朽ちる土壁のような印象だ。ぽろぽろと外壁が剥がれ始めている。言葉に詰まると、ふと背後に気配を感じ振り返った。噂をすれば伊達男の登場である。
「よっ、お二人さん。仲良しだねえ」
「げ、息吹さん…」
「げっってなんだよ、旭陽ちゃん。そりゃ無いぜ。可憐なお嬢様方を俺が迎えに来てさし上げたってのに」
息吹の言葉に桜花の表情が凛としたものになった。冗談を言っていた息吹も、緊張感を伴う顔つきへ変わった。
「お頭から招集が掛かった」
三人が本堂本部へ到着した時には、既に主だった鬼ノ府は全員揃っていた。また、驚いたことにこの場に橘花も同席していたのだ。秋水の隣に身を潜めるかのようにして佇んでいる。俯いたまま、橘花は桜花とも目を合わさない。その様子に、旭陽はピンときた。速鳥へ目配せをすると、一度静かに頷いた。この場には大和も居る。お頭に限って、無茶な結果にはならないだろうと速鳥の推測だろう。
大和が一歩前へ出て、いつもの様に皆を労った後、秋水がその場を取って代わった。眼鏡のズレをくいと直すと口を開いた。
「昨今の襲撃関連ですが、いまいち状況は芳しくありません。万一に備え、結界の強化を提案致します」
里の周囲に配される結界子の巨石は、主だった方位に一つずつ設置されてある。それが巫女である橘花の力を増幅し、強力な結界を里の周囲に張っているのだ。だが、各方位に配されているといっても、鬼の襲撃が増せば結界も耐えうることが出来なくなる。
そこで、不動である結界子の巨石を砕き、擬似的に数を増やし里の隅々にまで再配置することで、相互作用の強化を図る ─
というのが秋水の提案だった。
話を聴き終え、皆しんと黙ったままだった。当然だ。この提案は増えた結界子に流す霊力が増えることになり、巫女の負担が普段とは桁違いになる。巫女の命を多くすり減らしての策なのだ。
今にも秋水に殴りかかりそうな桜花は、必死に理性を保ち声を上げた。
「秋水、貴様…、その意味を分かっているのか…!橘花、何故何も言わない!!」
「姉さま…」
桜花の隣に立っていた息吹も目つきが厳しい。
「気に入らないな…。要は、鬼を里に近づけなければいい話だ。秋水、あんた俺たちの事信用出来ないってのか?」
「あくまで万が一に備えてですよ。息吹さん。最近は、桜花さんも大変な怪我を負いました…。これ以上負傷者を増やさない為にも、戦力を温存させる為にも、必要な策であると僕は考えます」
息んでいた桜花は、唇を噛み押し黙ってしまった。旭陽も胃を掴まれた思いだ。
現状を考えるに、備えあれば憂いなしなのだろうが、それにしてももっと別の方法はないだろうかと誰もが考えていた。だが皆別の案がすぐに出てくるわけでもない。この状況こそ、今のウタカタなのだ。出てきた鬼を討つ。今出来ることはそれだけだ…。
秋水の後ろで黙っていた橘花は、近衛に耳打ちをしている。どうやら体調が優れないらしい。近衛は大和に一礼した後、橘花の肩を支え本部を去ろうとした。桜花が悲痛な面持ちで呟いた。
「橘花…」
「申し訳ありません。中座させて頂きます」
橘花が去った廊下からは、結界子の巨岩が見える。今日は酷く青々と濡れたように光っていた。