06

 八つ時過ぎ、久遠の店には甘味を求めて多くの客が列を成す。店先の品書きには、あんみつ、カステラ、みたらし団子など本日のおすすめが通行人を射止めていた。その中には、初穂、椿、椋も混ざっていた。互いの空き時間が重なると誰かしらを誘ってお茶をするのが常なのだ。席についた三人は、恋、仕事、家族の話題で色めきだつ会話の中、各々注文した甘味を頬張っているところである。初穂はあんみつ、椿は汁粉、椋はよもぎ団子。この時間帯は店内が最も幸福感に満ち溢れていると言ってもいいだろう。抹茶が付いて五百ハクという料金は大変良心的である。
 あんみつの栗をぱくりと含んだ初穂は「最近ね…」と口を切った。その後がなかなか続かず椿は首をかしげ「どうしたの?」と匙を置く。話し難そうにしていた初穂は周りを伺い少々声を落とした。

「ここ四、五日の話なんだけど、いつも皆が寝静まった頃一階の戸が開く音がして、目が覚めちゃうんだけど…二階の窓から覗くと必ず相馬なの。どうも夜な夜などこかへ出かけているみたいなのよね…」

 百鬼隊の宿舎は近衛詰所と同じ区画にあり、旧鬼内居住区に入ってすぐの二階建ての建物だ。参番隊は皆そこで寝食を共にしていて、一階が男性隊員、二階が女性隊員の部屋となっている。宿直の当番以外は、一日の仕事を終えると各々自由に過ごしてよいことになっていた。就寝後に出かけようとも緊急招集がかかれば皆戻ってくるので別段宿舎内での規則は設けられていなかった。
 初穂が初めて夜中に相馬を見かけたときは本当に偶然だったそうだ。初秋とはいえまだ暑さの残る寝苦しい夜、窓を空かそうとした所、単に羽織を着た相馬が出かけるのを目撃したらしい。理由は色々と考えられなくも無いが…。一人で鍛錬を積んでいるだとか、或いは英雄色を好むとも云うから、小さな里に長いこと居れば男の甲斐性が働くものなのかもしれない。大きな里の様に遊女屋が軒を連ねる程の花街は無いが、宿場女郎や娼妓を抱える宿屋や料理屋が無いわけではない。しかし想像からの詮索は少々無粋な様にも思える。一口抹茶を含んだ椿は、うーんと唸った。

「でも、鍛錬しているなら受付に記録が残っていそうなものだけど、私、近頃相馬の名前は見てないわよ?」

 怪訝そうな椿の様子に、初穂は目を細め頬を膨らませた。

「……やっぱり」
「まあ、初穂ちゃん…。その、そうと決まったわけではないし、きっと何か事情があるのかも。そ、そうだ!霊山から何か連絡を待っている、だとか」
「でもそれなら、別に昼間に待っててもいいじゃない?」

 初穂の言う通りだ。だが憶測ばかりで話を進めても隊長の沽券に関わる。相馬を立てようと思ったが、椿は「霊山からの便りが来るっていう話も最近ないわね…」と、つぶやいた。彼女は決して悪気があるわけでは無く、ただただ正直なだけである。しかし椋と椿の会話に初穂は「やっぱり相馬も健康な成人男子かー」と、いつになく実年齢に近しい達観した感想を述べ、椋の心配とは裏腹にあっさりと割り切ってしまった様子だった。相馬の事は確かに気にはなるが、内々にしておきたい事柄は誰にだってある。これ以上の推量はやめておきましょ、と椿の言葉に三人は別の話題へ移った。
 各々平らげ、会話を楽しみ満たされた心持ちで店を出た。外は僅かに茜がさしている。椿と初穂は半休だったので、そのまま別れた。椋は本日宿直で、周辺警護の当番である。一度家へ戻り、仮眠を取った後本部へ出向いた。

 本部の隊員たちは早々と見回りの範囲を振り分けている最中だった。椋が入るなり「椋隊長、お疲れ様です」と声がかかる。サムライ、近衛の混成隊も近頃では板について、隊の連携も個々の練度も向上している。中々協力的でなかった隊員らも今や揉めることは殆どない。隊員が周辺の地図を広げ、椋のもとへやってきた。

「隊長、今晩は里内の境界の見回りをお願いします。自分たちは、門の外側を見回りますので」
「了解です。何かあれば鬼の手ですぐに知らせてください」
「承知しました。では我々は先にでます」
「はい、気をつけて」

 隊員らを見送り椋も本部を出た。夜空には星が無数に散らばっている。天気も良く絶好の当番日だった。里内の異界に近い道を椋は交代まで見て回る。巡回時には里の結界、結界子の岩や注連縄の異常にも気を配る必要があった。大きな岩の袂からてっぺんを見上げた。岩肌には流水を思わせるような翡翠色の亀裂が入り、そこは呼吸をするかのように一定の強弱を保って淡い光が明滅している。てのひらを当てればまるで岩は生きているかのようだった。これが極端に強くなったり、あまりにも弱々しく光っていたりすればすぐ博士に連絡をするのだ。どういった訳かこの程博士が作ってくれたカラクリ石の結界増幅装置は、因果関係は不明だが点在する結界子に呼応しているらしい。
 境界辺りを見回った椋は、今度は本部への道順を辿った。
 寝静まった里で唯一明かりが煌々とする場所は宿屋周辺の飲み屋くらいだ。賑わう一角を通り過ぎると、店先には艶やかに着飾った客引きが、外から来た行商人たちを相手に猫撫で声を出して袖を引っ張っている。「旦那ァ、一杯どうです?」と声を掛けられた男は、困った素振りをしながらも嬉しそうに女の後を追い暖簾をくぐった。掲げられた看板は女郎屋だ。椋は昼間の初穂の話を思い出した。

(いやいや、まさか…、いやでもあり得ないとは言いきれない…。けど、ほら誰にだって言えないことのひとつやふたつ…。違うっ!今は任務中!!)

 などと自問自答していると、店の中かから腰を低くして店主らしき恰幅の良い男が出てきた。

「毎度ありがとうございます。今後ともなにとぞご贔屓に」

 声のした方へ振り向き、椋は出てきた客を視界に入れると咄嗟に建物の影に隠れた。別段悪い事をしたわけでも無いのに、見てはいけないものを見てしまった様な気がしてだんだんと心臓は早鐘を打っている。
 椋は、路地からそっと覗いた。単の流しに濃いえんじ色の羽織を纏い、初穂からトンガリと言われている角の装飾こそ付けてはいなかったが間違いなく参番隊隊長相馬である。少々肌寒そうに相馬は腕を組み「また来る」と告げその場を立ち去った。深々と頭を下げる店主は随分ご満悦の様子だ。相馬は三十路をとうに過ぎているし、家族があってもおかしくはない。だが戦線を渡り歩く百鬼隊は、色恋にうつつを抜かしている暇など到底無く、このような店に来るのは…致し方のない事かもしれない…。と頭ではわかってはいても、椋の勝手な相馬隊長像の崩落に存外動揺していた。伴侶も居ないとなれば健康的な成人男性なら十分に想像できうることである。椋の思い込みは単なる個人的な希望的観測だった。

(今夜のことは私の心の中に留めておこう…)

 草陰に隠れた秋の虫がりんりんと鳴くのを背にして、椋は本部へ帰還することにした。

 椋が宿直の時は、岩屋戸本殿の裏を通り、警備中の近衛らに異常はないかを確認して戻るのが常だった。等間隔に配された石灯籠と並んで、近衛の警護が数間おきについている。本殿を支える石垣から建物まではかなりの高低差があるので、余程の手練でなければこの絶壁は登れない。が、用心に越したことはない。かぐやの身の安全を確保するのもモノノフたちの努めだ。
 時刻は既に丑三つ前だった。長時間護衛任務に付いている近衛たちも流石に眠気が押し寄せている様子だ。長時間気を抜かず立ち続けているのだから無理もない。あくびをしていた近衛は椋に気づくと居住まいを正した。「ご苦労さまです。かわりありませんか」といくつか言葉を交わし、異常がない事を確認する。今夜も何事もなく夜明けを迎えられそうだった。交代の時間も近づきそろそろ任務完了の刻限が近づき踵を返そうとしたその時、少し距離の離れた箇所の、背高く伸びた夏草ががさがさと妙な揺れ方をした。まだ綿が付く前の青々としたススキは頭をゆらゆら揺らしている。椋は瞬時に五感を張り巡らせた。猫か、野うさぎか…とじっと目を凝らしてみるが、揺れ方からするに明らかに人の子供ほどの大きさがあるように見受けられた。ガキの可能性も捨てきれない。身構えた椋は得物に手を添え、恐る恐る近づいた。まだ標的は姿を見せない。或いは気づかれてしまったのだろうか、ガキであったなら益々放っておくわけにはいかない。椋は思い切って草をかき分け、気配のある箇所に切っ先を向けた。

「ひゃあっ!すまぬ!すまぬ!違うのだ!ちと心配事があっただけで…、頼む!八雲には内緒にしていてほしいのだ…!」
「えっ?か、かぐや様…?」

 頭に手を乗せしゃがみ込むのは、寝間着姿の神垣の巫女かぐやだった。こんな夜更けに一体こんなところで何をしているのか…。見つけたのが椋でなかったら、明らかに八雲から延々と小言を貰うのは明々白々である。椋は納刀し刃を向けたことを詫びると「良いのだ。私もすまなかった…」と、涙目でかぐやは言った。
 おそらくかぐやは秘密の通路を使って、また里へ降りてきたのだろう。椋はかぐやに目線を合わせそっと肩に手を置いた。

「かぐや様、一人で出歩いてはいけませんといつも言われているじゃありませんか。しかもこんな夜中に」
「すまぬ…」
「さっき、心配事って仰っていました…?」
「そうなのだ椋!聞いてほしいのだ。八雲の様子が変なのだ」
「八雲が、ですか。詳しく聞かせてください」

 こんな雑草だらけの場所で話もなんだと、椋は一度かぐやを部屋につれて帰った。彼女が抜け出してきたであろう、秘密の通路を通り部屋に戻るとたらいに湯をはって手足を拭いてやった。少々目の腫れたかぐやは実は…と、口を開いた。

 近衛隊長八雲は、周知の通り神垣の巫女かぐやの一番の側近だ。朝は誰よりも早く起床し、晩の内に本殿に異常がなかったかなどの申し送りを宿直から受け、自らがかぐやを起こしに行き、かぐやの身支度が済むと長い紙に書かれた一日の予定を読み上げる。かぐやはしっかりとその内容を頭に入れ「今日もよろしく頼むぞ、八雲」と、かぐやからの言葉で彼の一日が始まるのだ。そして夜は、かぐやが床に着くのを見送り、敷地内の警護に抜けがないかを一通り確認した後、彼もまた一日を終えるのが常だ。

 毎夜と同じく、八雲はかぐやに就寝の挨拶にきた。

「かぐや様、そろそろ就寝のお時間です」

 夢中で机に向かっていたかぐやははっと顔を上げ、もうそんな時分かと戸を見遣る。筆を置き招き入れると、八雲は短くなっていた行灯のろうそくを取り替えた。
 里の民にとっては変わりない日常が綴られている様に見えるが、博士宅の盗難事件から未だ捕まらぬ犯人にモノノフたちは浮足立っている。里の中も外も慌ただしいのをかぐやは知っていた。隊員たちを案じると、八雲は「我らにお任せください。かぐや様はかぐや様の成すべきことを」と言って、笑みを浮かべる。こういう時の八雲はかぐやの前では一切表情を変えることは無かった。もう何年も八雲と共に執務を行うかぐやだ。いつも涼しい顔をしてかぐやに余計な心配をさせまいとしていることはすぐに分かる。八雲のくまが日に日に濃くなっているのが何よりの証拠だった。彼女も少女とはいえ立派な神垣の巫女である。居住まいを正し、凛とした声で八雲の名を呼ぶと、八雲は驚いた様子で「はい、かぐや様」と向き合った。

「八雲、少し無理をしているのではないか。ここの所随分遅くまで本部に詰めていると聞くぞ」
「…何かの間違いではありませんか。私はかぐや様に就寝を告げた後は自室へ戻りしっかりと休んでおります」
「お主が里のために十分すぎるほど尽くしているのは私が一番に知っている。お頭を紅月に一任したとはいえ、私とてこの里の巫女だ。手伝えることがあるなら何でも言ってほしい。私も皆が、八雲が心配なのだ…」

 膝の上の小さな手はぎゅっと握られ、着物に皺ができた。今も命を削り結界を張ってくれているというのに、なかなかどうして幼い巫女は気丈夫で、心優しい。うつむき加減のかぐやを、八雲は覗き込んだ。

「ありがとうございます。そのお言葉、里の者として大変嬉しく思います。お力をお貸し頂きたい時はお願いいたしますので。ご安心を。今晩もゆっくりおやすみなさいませ」

 物言いたげなかぐやを半ば押し留めるように八雲は床へ行くよう勧めた。かぐやはもそもそと布団へ潜る。室内に異常が無いことを確認し終えると八雲はかぐやの掛け布団を整えた。すると、彼の懐から冊子がするりと布団の脇に落ちた。背表紙から落下し、見開かれたそれには異なる筆跡でたくさんの人の名前が記入されている。瞬時にかぐやはそれが何なのか分かった。里に出入りする者の名前が記入される帳面である。何故八雲がそれを所持しているのか…普段なら本部の受付に置いてあるものだ。かぐやは疑問が湧いたが、この時は敢えて尋ねなかった。翌朝聞いてみようと、思い直したのである。
 ところが、翌日、起床の挨拶に訪れたのは八雲ではなく、代理の近衛だった。いつもなら八雲が来られない時は、理由を事前に聞いているにも関わらず、その報告すらなかった。しばし遅れて、かぐやの前に現れた八雲は、徹夜明けのようで、かぐやが何かあったのかと問い詰めても「ご心配には及びません」と答えるだけで詳しい理由を話してくれなかった。そんな日が幾日か続き、とうとうかぐやは胸騒ぎを覚え、居ても経ってもいられず八雲の所在を確かめるべく岩屋戸を抜け出した。――というわけである。

「八雲は…、夜の挨拶の後、どうも部屋へ戻っておらぬ様なのだ…」
「そうだったのですね。何か事情があるのは間違い無いと思います。私も調べてみます。八雲さんに会ったら直接聞いてみます」
「椋、ありがとう。恩に着る」
「夜中に抜け出すなんて、とても疲れたでしょう。眠るまで隣りにいますから」

 緊張が解けたのか布団に入ったかぐやはすぐに寝息を立て始めた。本当に、八雲は幸せ者だなと思いつつも、彼は夜な夜な何をしているのか椋も疑問に思った。鬼が絡めば隊長格の人間には報告もあるはずである。
 とにかく、本人に聞くのが一番に手っ取り早い。

 相馬といい、八雲といい、やけに謎の多い夜だったと椋は任を終え家路についた。