05
「ないね…」「無いわね」
「欠片一つたりとも落ちてねえな」
「この分布図は本当に間違いないのか…?」
椋、椿、焔、神無の四人は顔を突き合わせ、椋が広げる分布図を見下ろしていた。
四人は鬼の急襲によって見送りになったハクの高密度結晶の採取に改めて訪れていた。博士から預かった地図を頼りに “牛車の雅道から羅城門”、“カラクリ門周辺” と、指定された二箇所を回り結晶を探しているのだが、これが何処を探しても欠片ひとつとして見つからない。いつもなら、分布図通りの場所に一際薄緑色に輝く結晶が地に転がっているというのに、きらりともしない。見落としがあるのではと枯れた木の根や、朽ちた塀の裏、崩れた屋根の下と道端以外の場所も隈なく探し、既に三往復もしている。が、まったくの骨折り損である。
曇天の下、四人の間を木枯らしのごとく侘しい風がひゅうと通り抜け、枯葉がはらりと虚しく落ちた。異界の静けさに包まれ、屈強なモノノフが雁首揃えて項垂れている姿は益々侘びしく映る。大きなあくびをした焔は後ろの木に背を預けた。
「おい隊長どうすんだ。こんなこと初めてだぜ」
「椋、一度帰りましょうか」
椿が不安気に言った。まったく結晶が見つからない事態は滅多にない。椋は里へ戻ることに決め、四人は再び来た道を辿り始めた。
現在地点はカラクリ門の正面だ。先日の戦闘の跡が所々残っていた。地面が抉れたり、相馬の金砕棒が当たったと思しき特徴ある凹みが散見される。椋は神無と並び、二人の先を焔と椿が並んで歩いた。
神無は周囲を観察するようにきょろきょろと歩いている。すると椋にたずねた。
「なあ椋。確か、先日の刀也の隊が襲われたのはこの辺りだったと言っていたか」
「うん、そう。戦闘があったのはこの塀の向こう側の敷地内だよ。そういえばあれから刀也さんの具合はどう」
「怪我は軽かったらしいから問題はない。しかし…椋」
「うん?」
ふいに立ち止まった神無は右を見て左を見て、再び正面に椋を捉えると「今日、俺達は大型鬼にまったく遭遇しないな」と答えた。
神無は、日頃より最強の鬼や相手を求める、ある種の戦闘狂の様なきらいがあるが、今の一言に含まれた意味は決してそればかりではなかった。椋は神無の言葉にはっとして思わず立ち止まった。前を歩いていた二人も、妙な違和感に気づいたのか歩みを止め振り返る。焔は片方眉を上げ怪訝そうに腕を組み、椿は神無の洞察に目を見開いた。神無はゆっくりとした歩調で再び一歩を進み出し、椋を追い越すとぽつりぽつりと続けた。
神無の言わんとする事はこうだ。
マホロバの一連の騒動が収束するに当たり、近隣地域の鬼の活動は小康状態であるのは周知の事実だ。輸送経路も安全に行き来できるようになっている。その証拠に、今、椋たちが高密度結晶を探している間も大型鬼との遭遇は無い。小型鬼も十体前後だ。それなのに、先日刀也の部隊は同時に三体もの大型鬼と遭遇している。神無曰くこれが不思議でならないらしい。せいぜい遭遇しても一度に一体だろうと最近の経験則を述べた。椋もそう思う。椿も「そうね、そう言われるとこの間のは少し多いわ」と顎に手を当て考え込んでいた。事務方に上がってきた報告書によれば「何の前触れも無くカラクリ門の方角から突然現れた」と記されていたらしい。神無は、何かしらの原因があって、大型鬼が現れたのではないかとそう言いたいのだ。
神無にとって刀也はサムライ隊長以前に、苦しき日々に終止符を打ってくれた恩人でもあり云わば兄のような存在だ。先日の奇襲では現場に駆けつけられなかった事を悔いていた。今後同じような事態が再び起こり得ることも考えられる。
すると黙って聞いていた焔が「鬼が一度に現れるのがそんなに珍しい事か」と頭の後ろで手を組み気の抜けた声で言った。勿論彼は悪気なく言っていた。異形が跋扈する異界では珍しく無い事実に、その都度対処するしかないと思っているからだ。流石に一日一日が死線の日々を乗り越えてきた焔が言うと重みも増すが、それを聞いた椿の表情は厳しかった。
「他の場所でも同じことがあるかもって考えたら、また部隊編成を鬼の最盛期まで戻さなくちゃいけないし、輸送隊の護衛に人を割かないといけないでしょう。焔みたいに身軽じゃない隊員もいるわ」
「そりゃそうだが、要は皆でこう、なんかぶっ飛ばしゃいいだろ」
「そうだけど!もう!焔少しは真剣に考えて」
「わあったわあった。ちょっと待て、今鬼の気持ちになってやる」
「鬼の気持ちって…じゃあ、その鬼の気持ちになった考えは?」
「たまたま、機嫌が悪かった」
「あのねえ…」
焔の答えに椿は手に負えないといった様子で呆れ顔だ。だが意外にも神無は、彼の答えを曲がり無く受け止めたのか逆に焔に問いただした。
「おい、どういう時に機嫌が悪いと思う」
「そりゃ…、寝てんの邪魔されたりとかじゃね」
「ちょっと神無、焔の言うこと真に受けちゃ駄目よ!」
「ああ…」
真面目な椿は、不測の事態に備え各拠点の備品拡充を徹底しなければと意気込んだ。頼りがいのある事務方だ。主計の後を継いだ椿はいつも細やかに隊員たちを気遣ってくれる。しかし、盗賊の活動に加え大型鬼の突飛な出現と続けば、益々人手不足に拍車が掛かりそうだ。椋も応援体制を紅月に相談しようと考えた。
それから四人は無事に里へ帰還し、高密度結晶が皆無だった事を報告すべく博士宅へ向かうことにした。
門を過ぎ、本部正面の通りは人が多く賑やかだ。半分以上が里の人間ではないだろう。見掛けない身なりの者は、喧騒の中に声を上げ一所懸命客引きをしている。岩屋戸から大階段を下りた辺りでは鮮やかな幟を掲げた露店が塀に沿って多数並んでいた。今日は市が開かれているらしい。
里は異界と比べると空も高く澄み陽光が温かい。研究所へ行ったならグウェンに紅茶でも淹れて貰いたいなどと考え博士宅を目指していると、やけに厳つい大柄な男性五六人の一団が目に入った。よく凝らして見ると雷蔵と禁軍の兵だ。彼らは先日相馬が捕らえた盗賊二人を連れていた。どういった訳か禁軍に聴取を受けていた様子だ。相馬に捕まった時の威勢はすっかり萎んでいる。縛られた盗賊は項垂れ足取りが重く、兵らが両脇を固めていた。
「雷蔵さん」
「おお、なんだてめえか」
椋に気づいた盗賊二人組はぎろりと睨んだ。声が詰まりそうになるも、こればかりは彼ら自身の行いと運が悪かったとしか言いようが無い。雷蔵は大きな身体で盗賊たちを人目から隠すように前に立ちはだかった。
「折角会った所悪いな。今護送中だ。実はこいつらの頭は霊山のお尋ね者だってのがわかってな。俺れらの預かりになった」
「なるほど通りで禁軍が…」
「まあな。じき紅月から決裁が下りる。急いでるんでまたな」
罪人を連れたままの立ち話は良くない。雷蔵はそれだけを告げると兵士らと共にさっさと立ち去った。
その時、雷蔵たちの進行方向から商人の藤兵衛がこちらへ向かってくるのが見えた。腕に抱えるのは商品だろうか。沢山の箱を重ね、いそいそと足早に駆けてくる。ところが雷蔵たちとすれ違った途端、藤兵衛をひと目見た盗賊たちが「あーっ!てんめえ!こんちくしょうこんな所に隠れてやがったか!」と鼻息荒く声を上げた。若干視界が悪かった藤兵衛は「ひいっ」と悲鳴を上げ、持っていた箱を手から滑らせた。盗賊二人を見て腰を抜かしている。尻もちを付いたまま必死にかかとで地面を蹴り、距離を取るべくじりじり後退していた。
罵声とも取れるそれに、雷蔵と禁軍兵は藤兵衛に危害を加えかねない二人の首根っこを押さえつけた。どすの利いた声で「静かにしねえか」と雷蔵が制し、直ぐに大人しくなるも「覚えてやがれ」などと悪態をつき連れて行かれた。
椋たちはすぐに藤兵衛の元へ駆け寄った。箱の中身があちこちに散乱している。転がるのは装飾の美しい簪と柘植の櫛だった。焔と神無が散らばったそれらを拾い、椋と椿は丁寧に箱へ入れていく。藤兵衛は何度も「すみません、すみません」と謝った。
箱を手繰り寄せる藤兵衛の手は震えていた。余程怖かったのか椋たちとも目を合わせようともしない。最後に残った簪を箱に収め、椋は「大丈夫ですか」と尋ねた。
「ありがとうございました。とんだ醜態を晒してしまって…、お恥ずかしい限りで」
しかし盗賊二人の憤怒に驚いたのは勿論だが、あの二人組と藤兵衛が知り人である様子にも驚いた。椿も疑問を感じたらしい。箱を重ね、彼の表情をうかがっていた。
「藤兵衛さん、失礼ですけどあの盗賊たちと面識が?」
「ええ、実はマホロバへの道中追いかけられてしまって、あの二人からは必死に逃げてきたんです。ですが結局、里の近くでまた別の連中に襲われ、あらかた荷を奪われてしまったんですがね…。まったく情けねえのなんのって」
なんと災難なことか。藤兵衛は道中二度も盗賊に遭遇してしまったのだという。あの二人は、一度目に遭遇した盗賊たちだと言った。まさかマホロバで再会するとは思ってもみなかっただろう。
藤兵衛は落ち着かない様子で顔色が悪く、額には酷く汗をかいていた。同じ里に居るのは恐ろしい思いに違いない。椋は、捕縛した盗賊たちは禁軍の監視下にあるので、安心して商いをしてくれと伝えた。
椿は付き添いを申し出たが彼は大丈夫だと断り、再び商品を抱え市に構える自身の店を目指した。
焔は彼の後ろ姿を見送り苦笑いをしている。「ありゃ、盗賊の類に因縁があるとしか思えねえな」と度重なる藤兵衛の受難を気の毒そうに思っていた。だが、この事実に益々賊が活発であることが証明されてしまった。ため息混じりの椋を察し、焔はニヤリと笑みを浮かべ背中をぽんと叩く。一行は博士宅への道のりを急いだ。
研究所に着き、開け放たれた扉から帰還の旨を告げると、時継が出迎えた。丁度奥の部屋からは博士も出てきた。
「よう、ひよっこ共。随分長くかかったな。高密度結晶は無事に取ってこれたか」
「戻ったか二号、待ちわびたぞ」
「博士すみません…。実は頂いた分布図を頼りにあちこち探したんですが全く見当たらなくて、ひとつも取って来られませんでした…」
椋は預かった分布図を博士へ差し出し頭を下げた。椋につづいて椿も弁明する。何度も往復したこと、瓦礫の隅々まで探した事を話すと、博士はふむと頷いて腰を下した。唸るように声をくぐもらせ、机に肘をつき何やら考え始める。しばし無言が続いた。別段怒っている様子でも無いが、推し量るような鋭い眼光は分布図に穴が空きそうだ。大きな瞳が瞬きする度に研究所内には妙な緊張感が漂った。
その間買い物に出ていたグウェンが帰ってきた。博士は地図を見つめたままグウェンに振り向くこと無く「おかえり」と呟くだけだった。グウェンは異様な様子を感じ取ったらしい。買い物かごを置くと、静かに買ってきたものを収納し、黙って紅茶を出してくれた。
思案がまとまったのか、博士は分布図からゆっくりと視線を上げ椋たちを見遣った。
「もしかすると、私たちの想像以上に、カラクリ石や高密度結晶には価値があるとの認識は広がっているのかもな…」
時継がおいおいと口を挟んだ。
「ちょっと待て、とするとだ。これまで俺たちしか使ってなかった石や結晶は今や欲しがるやつが大勢いるってことか」
「まあ、大勢というのは極端だがそういうことだ。カラクリの研究をしているからと言って、独占の是非は誰にも決定権がないし、所有権は主張できんからな」
「いや確かにそうだがよ…」
「手立てがない訳じゃない。他の場所にも勿論まだ望みはあるし、遺跡内にも石と結晶はある。地上に無ければ潜ればいい話だ」
だが、地上と違って遺跡の建物内部は鬼も然ることながら一層危険が伴う。長い年月を掛け木々の根や雑草が侵食し、雨風に晒され続けた亀裂と経年劣化した石造りの遺構は狭く、度重なる鬼との戦闘でいつ崩れるかと立ち入る度に薄氷を踏む思いだ。しかし、博士の言うようにモノノフでなければ入ることのできない場所は、詰まるところ鬼を倒せば確実に石も結晶も手に入れることができる。
頷く椋の隣で、黙って話を聞いていた神無が口を開いた。
「博士の家に侵入した奴もそうだが、用途的に手に余りそうなものを…。とんだ変わり者もいたものだ」
「装飾品が関の山さ。兎も角、お前たちには無駄足を踏ませてすまなかった。紅月には私から話しておこう。今後は頻繁に遺跡に潜ることもやむを得んとな」
博士はうんと背伸びをした。正直な所高密度結晶の採取は完遂できず悔しいが、任務の報告を終え、椋も少しだけ息をつけた。
これ迄、カラクリ石と結晶の採取は元カラクリ部隊のうち、手の空いている者が担ってきた。今後は討伐隊以外に専任の隊が編成されるだろう。目処は立ちそうだが、なかなか大事になってしまった。
黙って話を聞いていたグウェンが、菓子を焼いたというので皆に振る舞った。英国の“スコーン”という菓子だ。はちみつやジャムが机に並べられ、皆で舌鼓を打った。疲れると甘いものが必要不可欠の博士の為に、グウェンの菓子作りの腕は益々磨かれているようだ。
暫くすると研究所に客人が訪れた。「ようてめえら、美味そうなもん食ってんな」と現れたのは雷蔵だ。どうやら盗賊の収容を終えた様子だ。若干くたびれた髭を触り雷蔵は「邪魔するぜ」と適当な場所に腰を下ろす。しかし雷蔵自ら研究所に来るとは珍しい。博士はカップに口を付けたまま雷蔵を見遣った。
「禁軍の将が何用だ?」
「用ってほどの事でもねえ。博士にちょいと聞きてえ事があってな。さっき捕らえた奴らから押収した」
そう言って雷蔵は腰元を弄ると、歪な形に膨らむ麻の巾着を取り出した。紐を解き逆さにすると机の上には重たい音とともに何かが転がる。そこにはごろりと見慣れた光る石があった。
「これは、鬼の手につかってる石と同じもんか?」
雷蔵が持ってきたのは数個のカラクリ石とハクの高密度結晶だった。
少ない量とは言え盗賊たちは何故所持し、また何処で手に入れたのかと椋たちは驚いた。博士はイマイチ納得が行かない様子で眉を寄せている。
「これは、捕らえた連中が持っていたのか」
「ああ、そうだ。しかしお前ら豆鉄砲くらったみてえな顔してんな。いつも見慣れてんだろうが。珍しくもねえだろ」
椋は、本日博士の分布図を頼りに結晶を採取しに行ったこと、しかし欠片一つ見つからなかった事を雷蔵に説明した。雷蔵は腕を組み唸っている。髭を何度か触ると「なるほどな」と呟いた。
相馬曰く、盗賊たちはあのカラクリ門界隈を根城にしていると言っていた。そして捕らえた今、複数のカラクリ石並びにハクの高密度結晶を所持していた── この二つから察するに、あの辺りにあった筈の結晶は恐らく盗賊たちが採集し懐に抱えていたのではないかと推察される。ともすれば、盗賊たちは石と結晶の価値をある程度理解しているかもしれないという事だ。
博士は雷蔵に尋ねた。
「雷蔵、うちに物盗りが入ったのは聞いているだろう。そいつらの仕業ということは考えられないか」
弾かれたように皆、一斉に博士を見遣った。
「まあ普通に考えりゃこいつらかもしれねえ、となるわな…。まだあまり聴取も進んでねえ。詳しく尋問してやってもいいぜ」
「よろしく頼む」
雷蔵は「用はそれだけだ」そう言うと腰を上げた。まだ仕事が残っているらしい。グウェンに茶を勧められるも早々に研究所を後にした。去っていった後、研究所はしんと静まり返った。カップとソーサーの触れる音がかちゃりと響くだけで会話は始まらない。皆この一連の騒動に考えを巡らせているのだ。
清麿が八雲へ忠告の手紙を出した際、彼が居た場所は右京の拠点付近だったと飛脚は言っていた。カラクリ門辺りから右京の拠点まではそう遠い距離ではない。清麿が不穏を感じた対象が、捕まえた盗賊たちの可能性は充分に考えられる。
それから二日経ち、清麿の手紙は昼過ぎに八雲へ届けられた。同日の午前中、在庫が半分に減っていることに気づいた博士は、泥棒が入ったことを紅月に相談している。その夕刻、藤兵衛は賊に襲われモノノフに保護された。
そして清麿の手紙と、博士宅の盗難事件、更には藤兵衛が襲われた事態の深刻さを鑑みた紅月は、夜更けに椋を呼び出した。
一連の状況だけで考えれば、これら三つの出来事が全く無関係の事象とは考えにくい。
果たして相馬が捕らえた賊二人組が、清麿の言う賊であり、博士宅に盗みに入った泥棒であるのだろうか…。そこまで考えた時、椋は時継の言葉に意識を引き戻された。
「その藤兵衛とやらは、里の近くで襲われたって言ってたが、襲ってきた方角はどっちだったんだ?」
椋はぽんぽんと頭上に疑問符が浮かんだ。時継の言わんとすることを整理しようと頭を捻っていると、椿が助け舟を出した。
「藤兵衛さんは“盗みに向かう途中の賊に襲われた”のか、“盗み終えて逃げ出す途中の賊に襲われたのか”…ってこと?」
「さすがは椿、そういうこった。割りと重要だろ?それが分かりゃ、今だに里に潜伏しているのか、逃げ出したか大まかに絞る事ができる。それから、その藤兵衛ってやつは、襲ってきたやつの人相を覚えてねえのか?今雷蔵んとこに捕まってる連中ってことはねえのか?」
そう続けた時継に、椿が残念そうに肩を落とした。
「それも可能性としてはあるんだけど、藤兵衛さんを里の近くで襲った賊は、今捕まっている二人組じゃないわ。これだけは断言できる。だって藤兵衛さん、今捕らえられている賊たちには “一度目に襲われた” って、さっき言ってたもの。そうよね、椋」
椿は、スコーンの皿を手繰り寄せ、ひとつ取るとジャムを塗り始めた。涼は、博士宅に来る途中の出来事を博士や時継に話した。時継は驚いて「そりゃまた随分運の悪いやつも居たもんだな…」と気の毒そうな声を出した。
カップを置いた博士は立ち上がると、紙と筆を取り出し机の上に広げた。
「そう考えると、カラクリ門付近で捕らえた二人が里近辺を彷徨いていた可能性はかなり低いわけか…。うむ。まず、私の立場からすると第一に泥棒を捕まえ懲らしめたい。それを踏まえた上で整理しよう。まず怪しい奴らは…っと」
博士は筆を走らせ、以下の様に書いた。
(い)清麿の手紙の賊
(ろ)藤兵衛を襲った奴
(は)相馬が捕らえた賊二人
「泥棒と疑わしき奴らは三つに分けられる…が、」(ろ)藤兵衛を襲った奴
(は)相馬が捕らえた賊二人
焔と神無は目を細め眺めていた。椋と椿は腰を浮かせ、書かれた紙を覗き込む。椿が口を開いた。
「博士、清麿さんの忠告が盗難への注意喚起だったとしたら、(い)と(ろ)の人物は、清麿さんからの手紙の時期からみても同一人物の可能性は高いわ。ただ、藤兵衛さんを襲った奴(ろ)と、捕らえた賊二人(は)は今言ったとおり別人ね…」
「やはりそうなるか。とするとまた振り出しじゃないか」
硯に筆を戻した博士は数度瞬きをして眉を下げた。
結局の所、研究所に盗みを働いた犯人を探し出すには、現状「清麿の手紙の賊」か、「藤兵衛を襲った奴」に的を絞るしか無かった。藤兵衛を襲った賊も、もしかすると博士宅への侵入者であるかもしれないという僅かな可能性の程度である。
ピコからお茶のおかわりを勧められた神無は「他に仲間が居るのかもしれんな」と言って残りを一気に飲み干し答えた。すると焔が意見した。
「しっかし俺様なら、目的のお宝を前にして、小物に手出しはしねえな…。あの腰抜け商人は、ひと仕事終えて逃げてく賊に襲われたんじゃねえのか?つーか本当よくアレだけの怪我で済んだよな。運がいいのか悪いのかよく分からねえ野郎だぜ」
「ちょっと焔、失礼よ」
「わりぃわりぃ、盗賊の気持ちになって物言っただけだ」
「本当、今日は鬼になったり、賊になったり、多芸多才ね…」
「だろ?」
「褒めてないわよ」
皆の会話が弾み始めたところで、博士は席を立った。
「ともかく諸君、ご苦労だった。結晶については雷蔵の尋問待ちだな。はっはっは、根城に隠し持っていたなら私が根こそぎ押収してやる…」
不敵な笑みを浮かべ、グウェンに「ご馳走様。美味かったぞ」と告げた博士は再び扉の奥へと入っていった。扉が閉まると間もなく、金属のぶつかり合う音が聞こえ始める。博士はまた何かしらを拵えているのだろう。
椿、焔、神無もたらふく菓子を食い、腹いっぱいになった。満足気に暫し談笑した後、夕刻四人は博士宅を後にした。