02

 マホロバの里の小高い丘に建つカラクリ研究所。ここには「博士」呼ばれる女性が住んでいる。
 木造平屋建て(屋根裏付き)の住居は、里に建つどの一般家屋とも一線を画す風変わりな赤い屋根の家だ。
 入口向かって左側の鉄板で覆われた張り出しには恐らく蒸気機関だろうと思われる部屋があり、床下の大きな歯車をぐるぐると動かしている。研究の動力を得るために里の大工に頼んで作ってもらったらしいその機工は、従事した職人たちに言わせると、動力源としては大変画期的なもので、彼女の聡明さとその技術力にはいたく感銘を受けたらしい。だが、里の人々はつい最近まで博士を「魔女」などと呼び、奇妙で訳の分からない研究をする女だと酷く嫌煙していた。
 そんな変わり者の博士は研究者でもあるが、一医者でもあった。人々の根も葉もない噂話にはとんと耳を貸すことも無く、鬼内外様分け隔てなく怪我人や病人を診てくれていた。
 彼女は今日も今日とてカラクリ研究に勤しんでいるが、どうもここ最近機嫌が悪い──
 そう話すのは、助手一号の時継(カラクリ)と英国人の助手三号グウェンだ。朝食を終えた博士は、数刻前から研究室に篭っているが、彼女の部屋からは物が破裂したり粉砕する音が絶えず「何故だ!何処だ!」と怒号が飛んでいるのである。
 洗濯物を済ませ、庭から戻った時継とグウェンは、扉の奥の惨事を想像し背筋が震えた。二人とも青い瞳がますます濃くなる。時継の隣にいた量産型のピコは首を傾げ不思議そうに見上げていた。

「と、時継…そろそろ博士に声を掛けたほうがいいんじゃないのか?昨日も、大分荒れている様子だったぞ…」
「…糖分切れたり、思うような結果が出なかったりすると、イライラしてああなる事もあるんだが…。とはいえここんとこ得に酷えよなぁ」

 研究中の博士に声を掛けると今以上に機嫌を損ねると思い、二人は敢えて触れずに居たのだが、いよいよ以って爆発しそうな彼女の様子が心配になり、居ても立ってもいられなくなった。時継とグウェンは生唾を飲み込んで彼女の部屋の前に立った。後ろ姿をピコが見守っている。時継の後ろにくっつくと「ダイジョウブカ」と案じていた。

「い、いくぞ時継…、私がノックをしたら、博士に声を掛けてくれ…」
「任せろ。さっきまんじゅうこしらえたからな、後方支援は万全だ!おし、いくぞ!」

 グウェンが拳をつくり、木製の扉を叩こうとした…その時、扉がバタンと物凄い音を立てて勢い良く開いた。部屋からは篭りっぱなしだった博士が、顔を真っ赤にして出てきた。いつも丁寧に結われている二つ結びは、所々束ねた髪が跳ね、後頭部のリボンは解け肩にだらりと掛かっている。額の保護メガネは今にもずれ落ちそうだ。こんなにも取り乱す博士は珍しい。疲労と怒りを全身に取り込んだ様子で、グウェンはあまりの気迫にノックすんでの状態のまま固まっていた。「や、やあ…博士」と笑顔を作るも顔は強張り引きつった。博士は「ないっ!」と第一声を叫ぶと、グウェンの肩をがっしりと掴み、ずいと顔を近づけた。グウェンは後ずさるも一歩遅く、激しく体を前後に揺さぶられた。

「大きなカラクリ石とハクの高密度結晶がないんだ!あんなに在庫を抱えていたのに!半分に減っている…っ!嗚呼、私の積日の労が…」
「どうせまた、倉庫かどっかに置き忘れとかじゃねえのか?まあ、積日って言っても実際取りに行ってんのは椋たちだがな」

 博士はぐらぐらと動かしていた手を止めると、時継の返答に不敵な笑みを浮かべていた。グウェンはガクンと頭をさげ、揺れに酔ったのかwooと唸り声をあげている。腰に両手をあてた博士は、時継を覗き込んだ。

「ふふん…。時継、この状況を分かっているのか。結晶がないと貴様はポンコツだぞ?私は研究に毎日結晶を使う…はてさてあと何日持つのやら」

 はっはっは、と笑った博士に時継は事の重大さに気づいた様子だ。仲間であるピコに振り向き訴えた。

「……そ、そうじゃねえか!そういう大事なことはもっと早く言えってんだよっ!本当に研究所の隅々まで探してもねえのか?!」
「ああ。研究室は勿論、寝室、家の裏、床下も…。だが、どこにもない。不可解過ぎる」
「ってことは留守中に泥棒にでも入られたのか?そ、そうだ!鬼の目で痕跡を探せばどうだ?」
「それももう試したさ。だが時間が経ったのか、まったく分からん」
「博士の様な研究者ならともかく、この里にカラクリ石や結晶を欲する人がいるだろうか…。何しろ使い方が分からないだろう?」

 グウェンの問に顎に手を当てていた博士はしばし思案し目を伏せた。

「…私は少し甘かったのかもしれん。里の結界増幅や、識の件を鑑みれば以前から手に入れようと企む輩は居たのかもしれない」

 つまるところ、先の内乱でかぐやを連れだし、安土城裏のカラクリ回廊から持ち帰った高純度のカラクリ石の能力── 巫女の張る結界の増幅作用は、少なくとも当時里に居た者は認知している。以前よりも広範囲に張られた結界に安堵した住民は多かった筈だ。また、鬼ノ府本部の連中に至っては、識が真っ赤なカラクリ石を使いトキワノオロチを操っていた事を知る者も少なくはない。
 今まで当たり前のように遺跡に落ちていた“綺麗で大きな石”は、皮肉なことにその秘めた力を世に知らしめた事で価値あるものとして認められ、目をつけられてしまったのだ。仮にカラクリ石を手にした者に使い道が分からずとも、価値さえ知っていれば値を吊り上げ高額で取引することは可能になる。
 カラクリ技術の認知は博士の長年に渡る研究の成果でもあるとも言えるが、まさかの「盗難」という事態に博士としては身動きが取り辛い状況だった。何度自身のうっかりだと思い込みたかったことか、あまり里の人間を疑いたくはないのが博士の本音である。
 結局、一番に相談すべき相手はやはりお頭の紅月だろうとその場で意見がまとまり、博士は斯く斯く然々の理由でカラクリ石と高密度結晶が盗難に遭い、研究材料が不足している旨を紅月に伝えたのだった。

 紅月は博士から相談を受けると「紛失したカラクリ石と結晶は必ず見つけ出し、また足りぬ分の採取にも尽力出します」と博士に返答をした。当初はまだ八雲から「清麿の手紙」の件を知らされておらず、里の人の仕業であれば何とか諭せるのではないかと、少々高をくくっていたのである。しかし手紙が到着しそこで初めて外部の人間の可能性があったこと、そして里周辺は著しく変化していることを知り、こうして隊長三名を呼び出したのだ。

 紅月は己の判断を嘆きながら今後の対応策を三人に話した。

 彼女の提案と懸念は、三つ。
 まずは、清麿の手紙に基づき治安維持の強化に努めること。里へ出入りする人々へは、先刻、神無や焔にも命じたように監視体制並びに警護を強化しなければならないということ。

 もう一つは、里での更なる盗難被害だ。
 これについては今のところ博士宅以外で物盗りが入ったという報告は受けては居ないが、今後十分起こり得る懸念である。

 そして最後に、里の混乱の再来だ。
 現在カラクリ石を熟知し取り扱うのは博士だけだ。カラクリ結界子の増幅機能で保たれている今の広域結界は、時継で運用しているカラクリ石と同等のもので、定期的にハクの高密度結晶を取り替えその能力を維持する必要がある。それらが研究所から大量に失くなったと里中に知れ渡れば、住民はまた不安を抱えてしまうだろう。神経を張り詰めての生活は、再び鬼内外様の一触即発の事態を招きかねない。それを防ぐには、この盗難事件を騒ぎ立てたくなかったのだ。
 通りで…と、刀也と椋は泥棒騒ぎを知らないのだと納得がいった。
 鬼の恐怖は暫し遠ざかっている現状とは言え、一難去ってまた一難である。
 招集したばかりの頃より紅月は少し元気がない。八雲は手紙を再び懐に入れると机に肘を立て手を組んだ。

「お頭は貴様だ、紅月。里を考え貴様が思う策を練ればいい。我らはそれに従い、仮に間違いと思えば意見するまでのこと」
「…珍しく、同意見だ」
「ありがとう八雲、刀也。皆に的確な指示を出せるよう、可能な限り状況把握に務めます。刀也、椋これまで黙っていて申し訳ありません…」

 椋は首を振った。二人の意見に異論はなく、また紅月の提案には尽力するつもりでいる。しかし盗難事件については少々疑問に思うことがあった。
 例えば、清麿の言う里へ紛れ込んだかもしれない賊が、仮に博士宅へ侵入した盗人であった場合、何故一度に全てのカラクリ石と高密度結晶を持ち出さなかったのかという事だ。椋は己が疑問を三人に投げかけると、刀也は苦い顔をした。

「確かにそうだ…。博士の持つカラクリ石は大きく、サムライ部隊や近衛兵の兜程の重さはある。もしや、犯人は持ちきれなかった…か?」
「博士の家にどれほどの量があったかは知らぬが、そうなると盗人が複数人ではなかったということは確かだろう。二人ないし三人程いれば、運び出しは一度で済むはず…」
「恐らく犯行は一人だ。残りを盗るかは分からぬが、研究所が再び狙われる可能性もある…。博士の家に護衛か監視役を付けておいた方がいい」
「監視役がいいだろう。玄関先に護衛がいれば、その場で縄をくれてやれなくなるぞ」

 頷いた刀也は立ち上がった。

「椋、ついて来い。博士の家に行く。対応は早い方がいい」

 そう言って、一同解散すると、椋は刀也に連れられ博士宅の前までやってきた。当然、夜更けなだけあり家の明かりは落ちている。起こすのも忍びないが、これも博士の為だ。せめて寝起きの機嫌がいつかの時継談では無い事を祈り、椋は意を決し戸を叩いた。

「博士、こんばんわ。椋です。遅くにすみません」

 暫くすると部屋の中からガサガサと物音が聞こえ、ゆっくりと細く戸が開かれた。ところが、その隙間から覗いたのは、博士でも時継でもなく黒光りする銃口だった。刀也は咄嗟に椋の腕を引き地へ伏せた。うつ伏せになった椋は頭部を上げられぬよう、がっしりと押さえ付けられる。何発か弾丸が発射された後、家の明かりがぱっと灯り、中からは博士が「仕留めたか!」と言って意気揚々と出てきた。それに続いてグウェンが武器を手に飛び出し、その後に時継とピコが続いていた。
 玄関先には川の字よろしく大の大人が二人うつ伏せになっている…なんとも滑稽な状況である。辺りを見渡した博士は、自宅への侵入者が居ないことに首を傾げていた。

「ん…?そこに居るのは、刀也と…椋か?そんな所に寝そべって何をしている?」

 一気に脱力した。上体を起こすと表情を崩さない刀也に、椋は顔がひきつった。手厚い出迎えに少々お冠の様子だ。

「博士、この状況を詳しく説明して貰おうか…」

 眼力凄まじい様に、博士は「はっはっは」といつもの調子で誤魔化すと二人を家へ招いた。

 机には湯呑みが二つ置かれた。ピコが自ら運んで来てくれた。
 量産型ピコは遺跡で回収し、研究所で暮らしはじめて暫く経つが、近頃は妙に感情が働くようになっているらしい。博士曰く、人の魂をも吸着する事ができるカラクリ石は、人と接することで人情の機微にも敏感に反応できるようになるらしい。時継がしばしば物の名前などを教えているそうだ。
 ピコは盆を脇に挟むと客人二人に「ノメ」と言った。すかさず時継が「おい、ピコそこは“どうぞ”だ」などと指摘している。会話は現在習得中らしい。
 刀也は早速本題に入った。一連の窃盗事件を受け、再び侵入されるかもしれないと伝えた。本部から監視のモノノフ派遣を提案したのだ。しかし博士は首を横に振った。

「ありがたい話だが、監視はいらないぞ。今さっきお前たちも見ただろう?あれは私が作った防衛機能だ。大体夜中頃になると家の至る所に仕掛けた装置が外部からの侵入者を排除する仕組みになっている」

 この間作った。まるで朝飯前の如く言い放った博士は、時継が客人用にと出した茶菓子に手を出し、もぐもぐと口を動かした。
 余り心配は要らなかった様子だ。この分だと家中の窓や扉に仕掛けを施しているのだろう。しかしこの仕掛けが作動するにも、きっかけ的な何らかの初動が必要である様に思う。椋が「どうやって動かすんですか」と尋ねると、博士はピコが寝ずの番をしているのだと答えた。

「こいつは、高密度結晶さえ切らさなければいつまででも動いていられる。普段、夜間の動力は自然と休むように設定してあるが、こんな事態だ。役に立ちたいと言うんでな。異変を感じたら、ピコが装置を作動してくれるんだ。元々こいつは遺跡の番人でもある。こういう事には打ってつけなのさ」
「なるほど…。でも、博士に何事も無くて本当に良かったです。皆に黙っているよう、紅月さんに言ったのは博士でしょう?」
「…何故、そう思う?」
「なんとなくです」
「貴様もつくづくお人好しだな、椋。まあ何とでも推察すればいいさ。そう言えば丁度よかった。また近々カラクリ石と高密度結晶の採取を頼むかもしれん」
「わかりました。お安い御用です」
「頼もしいな、助手二号」

 そうして刀也と椋は、安堵と疲労を被り博士の家を後にした。
 今後鬼ノ府本部の仕事は、鬼ばかりでなく人にも注意を払わねばならない。また息の詰まるような日が続きそうな予感を抱き、椋はようやく床についた。