第一章
22.責務

 無事に討伐を終えた旭陽たちは、帰還してすぐ速鳥を医療隊へ預けた。那木の応急処置のお陰で様態は安定している。十分な治療を受ければすぐに良くなるだろうとの見立てで一安心だ。担架で運ばれる速鳥を見送り、一行は大和に戦果を報告した。名もわからぬ大型鬼の特徴などを話していると、耳をそばだてていたらしい秋水が書棚から一冊の本を取り出してきた。

「話を聞くに旭陽さんたちが遭遇したのはクナトサエ(岐塞)ですね。この鬼もオオマガドキで確認されている鬼です」

 その言葉に、大和は一瞬顔をしかめた。己の過去の奮戦を遡り「聞かぬ鬼だ」と口惜しそうに呟く。
 秋水が今見開いているのは古く分厚い書物だ。これは鬼丿府創設の頃より先人たちが積年の労を経てかき集めた膨大な鬼の情報が綴られている貴重な資料であるらしく、耐性、弱点、屍の活用法などが事細かに記されている。幾度もめくられたと思われる本の小口は黒ずみ、裏表紙は思わず眉が寄ってしまう程の赤黒い斑点の染みが認められた。この書物は鬼の記録だけで無く、人の手に渡るたびに数々の生き死にをも目の当たりにしてきたのだろう。こんなにも年季の入った記録書を所持している人間は霊山にもそう居ないはずだ。流石は陰陽方に所属する研究員といったところだろうか。最近まで姿が見えなかったのは、一人また霊山へ赴いていたのだろう。
 曰く、この本に記載のある鬼は、長い年月が経過したこともあり、現在に於いて存在が確認されてない種類の方が多いと云う。鬼は神出鬼没な上、オオマガドキ級の鬼門が開かぬ限り特異な鬼は出現しない。というのが、お偉方の見解であるらしい。逆に言えば、速鳥が発見した謎の塔を依り代にし、鬼門が開いてしまえば、この厚み分の魑魅魍魎が再び人の世に溢れ出す可能性があるという事になる。
 八年前、七日七晩中つ国のあちこちが鬼でひしめき人々の叫喚が渦巻いては、その歯牙に引き裂かれ幾つもの命が消えていった。そのオオマガドキの凄惨さは想像でしかないが、近頃新手が多いのは、依り代としての塔がいよいよ完成に近づき未知の脅威が扉に手を掛けているのだと突きつけられ、旭陽は益々焦燥に駆られていた。

「秋水さん、その本見せて頂いてもいいですか」
「ええ、どうぞ」

 秋水から受け取ると、旭陽はクナトサエの頁を眺めた。対クナトサエの戦闘方法についてもっと早くに目を通していれば苦戦を強いられず、また速鳥も毒を避けられたかもしれない。そこでふと思い立った。速鳥にこの本を見せたなら、遭遇したもう一体の鬼も判明するのではないだろうか。そうすれば、戦力のままならない現状でも十分な策を練ることができる。
 旭陽は、秋水に二三日借り受けたいと申し出ると、意外にも彼は快諾してくれた。

 旭陽は那木と共に速鳥の病室を訪れた。
 診療所への道すがら、異界で戦闘が行われている事を微塵も感じないほど里の中は平穏だ。澄んだ水は絶えず湧き続け人々の生活を潤し、里の象徴とも言うべき神木が太い幹をどっしりと構え大きく枝葉を伸ばす様には勇気づけられる。物流は鈍くはなったものの、この様な有事であっても商店は普段通りに商いをしている事に、結界の向こう側が鬼の住処であることを忘れてしまう―― 橘花を始めモノノフたちにも無理を強いている証でもあった。
 那木も旭陽と同じ事を思っていたのだろう。店先で談笑する里の人々を眺め「里の皆を守らなければ…なりませんね」と、ぽつりと呟いた。

 入口の旭陽たちに気づくと速鳥は「隊長、那木殿」と優しく笑んで二人を迎えてくれた。顔色も良く、調子は戻りつつあるようだ。寝台脇の小さな机には研磨石、柔らかそうな厚手の布が置かれ、武具の手入れをしている。
 いつもの深くかぶった帽子は戦装束と一緒に畳まれ、当然素顔は露わになっていた。すっと通った鼻筋、いつも隠れていてよく見えないが細い目はゆるく目尻が下がり穏やかな印象を受けた。

「速鳥様、お加減はいかがですか」
「那木殿の処置で命拾いをした。かたじけない。旭陽殿にも随分心配をかけた」
「いいえ…。経過も順調そうで安心しました。退院したら家に遊びにきて下さいね。天狐も待ってますから」

 忍びたるもの何時如何なる時も平常心がお手本のような速鳥だが、極力平静を保っていても、旭陽に向けられる視線には嬉しさが隠しきれていない。那木が笑いを堪えようと咳払いをしたところで、旭陽は本題に入った。手提げ袋から秋水より預かった冊子を速鳥に差し出す。装丁の血なまぐさい有り様に速鳥は眉をよせていた。

「旭陽殿、これは…?」
「秋水さんからお借りしたんです。鬼の収録図鑑、とでもいいますか。この中に速鳥さんが見たという、もう一体の大型鬼が載っていないか確認頂きたいんです」

 察しの良い速鳥だ。皆まで言わずとも、それまで掛け布団の上に広げていた道具を脇に寄せ、すぐに表紙を開いてくれた。那木は茶を入れてくると言い部屋を出た。速鳥はゆっくりと頁を捲りじっと挿絵を眺める。一頁また一頁と読み進め、三分の一ほど表紙に偏ったところでふいに手が止まった。彼は旭陽を見遣り挿絵を指さした。

「旭陽殿、自分が見たもう一体の鬼だ。間違いない」

 指し示された絵は、蛇のような体を持ち、上半身は形の異なる腕を四本携え、頭には鋭い角が垂直に伸びている鬼だった。形相もおぞましく眼の前に現れたなら声を上げて一目散に逃げ出したくなる。しかし流石は忍の速鳥だ。「確か腹のあたりにも棘の様なものがあった」と、細かく記憶していた。
 盆を抱え戻った那木が「見つかったのですか」と冊子を覗き込んだ。

「ヤ…トノ、ヌシ(夜刀主)…?成る程…、恐らく瘴気量が異常だったのはこの鬼が原因なのですね。多量の瘴気を放出す、とありますね」

 ヤトノヌシは他の鬼に比べても知能が高く、また瘴気の巣と呼ばれる濃い瘴気地帯を周囲に生み出すのだそうだ。だが生憎、ヤトノヌシの弱点や有効な戦闘方法の記載は空欄のままだった。恐らく、当時も多量の瘴気故に近づくことが困難だったが為に情報が少ないのだろう。この本さえあれば戦いを優位に運べると期待していただけに、旭陽は肩を落とした。
 とはいえ、完全に未知の異形を相手取るわけではなく鬼の姿形が判っただけでも御の字である。大綱を使ったり、罠を敷いたり…等々、動きを封じる物理的な策は考えられそうだ。これまで幾度の困難に見舞われても必ず突破口を見いだした。今回もきっと知恵を絞れば上手くいくはずだ。見舞いを終えた二人は一度本部へ戻り、大和たちにこのことを報告することにした。
 道中、那木に攻略法はないかと話していると、彼女は誇らしげに「わたくしたちがおりますよ旭陽様」と、笑顔で言った。

「旭陽様、わたくし達は弓を使います。遠距離からの攻撃は得意です。根気よく攻撃し続け隙を作り出すことはできると思います」

 例えヤトノヌシに直接近づけなくとも遠距離からでも屠る方法はある。堂々とした那木に背を押され、旭陽は本部の入口を潜った。
 本部には秋水と木綿だけだった。他の者は任務に出ているのだろう。那木の提案を踏まえ、旭陽は戦法を相談するも秋水は歯に衣着せない物言いで「一つ、言っておきますが…」と続けた。

「このヤトノヌシがいる限り依り代にはどんどんハクが蓄えられます。遠距離からの攻撃を続け悠長に事を運んでいては、鬼門を開く強大な鬼、終末の鬼を倒すのは不可能だと思って下さい」

 そんなに時間を掛けて攻撃しても相手に餌を与えるのと同じです。と、旭陽の意見はすぐに覆された。

「瘴気を噴出する箇所が、この尻尾みたいな所なら、そこだけを狙って遠くから千切ればいいんじゃないんですか?」
「旭陽さん、鬼の再生能力は異常なんですよ。特に瘴気が濃い中ではその回復速度はより早まります。長期戦で千切っては投げ、千切っては投げ…みたいな事をしていては部隊を消耗させるだけです。可能性があるとすれば…」
「あるとすれば…?」
「先発隊を送り込み、先に尾を切ったその一瞬、薄らいだ瘴気の中で一気に数を投入して畳み掛けるほかはありません」
「それは、先陣があまりにも危険です…」
「あなたならそう言うと思いました。ですが、ここは隊長としての判断も求められるかと思います。お頭とよく相談してください」

 秋水の言葉は厳しくも正しい。今まで頭の中では立場を理解しているつもりではいたが、危機的状況に直面した時の己の判断で仲間の生死を左右しかねない。それが一層旭陽に重く伸し掛かった。正しい判断とは何なのか、自問自答していると凛とした声が後方から聞こえ、旭陽は我に返った。「まったく…その、濃い瘴気とやらは厄介なのだな」と、今しがた任より戻った桜花は愛刀に手を掛け冊子を覗き込んだ。

「確かに秋水の言うように、遠距離の攻撃で隙きを作るというのは時間も掛かるだろう。刀、槍で直接的に攻撃を仕掛けたほうが、まあ…現実的ではある」

 秋水は「さすがは桜花さん。話しが早いですね」と全く他人事のように返事をした。しかし近接武器を得意とする隊員らを送り込んでも、鬼を倒すよりも先に行動限界に阻まれ討伐がままならない。旭陽は、瘴気にあてられた時の具合の悪さは経験済みだが、それだけで済むならまだいいだろう。触れただけで死に至るとも限らない。

「秋水さん、何か他に有効な手立てはありませんか?地形的に瘴気が溜まりにくい場所に誘うとか、劇的に瘴気耐性が上がる道具とか…」
「この鬼は依り代を守っているんですよ?誘い出すなんて無理ですね。そんな道具もありません。先程も言いましたが、集中的な正面突破による総攻撃。これが最も現実的です。短時間で討つほかありませんよ」

 ただ、数に物を言わせた戦法は賭けでしかない。戦力を投入すればその分里の守りは手薄になる。そしてまた橘花一人に負担が掛かってしまう。堂々巡りな、また単一的な戦法しか思いつかない自分に歯がゆい思いだった。眉を寄せた桜花も如何ともし難い様子で、なんとか打開策はないかと逡巡している様子だ。顎に手を当て目を伏せる。思案が終わったらしい桜花は、耳に髪を掛け、意外にも優しい笑みを浮かべた。

「旭陽、大丈夫だ。きっと上手くいくさ。一緒に作戦を練ろう」

 その日は夜遅くまで、桜花と那木とああでもないこうでもないと、ヤトノヌシの攻略法を考えた。