恋 路※ 相馬×木綿前提・見守り隊長です。
帰還した陽介は、その光景を視界に入れるや否や再び異界へ引き返そうかと思った。戦闘で張っていた緊張は解け、瞬時に脱力していた。この脱力は里の日常を目の当たりにした安堵感といえばそうなのだが…受付に群がる獣二匹にはよくもまあ昼日中より毎度懲りないものだと、その鋼の心には半ば関心している。目の前ではいい大人が十代のうら若い娘の前で火花を散らしているのだ。二人ともどうしても木綿をお茶へ誘いたいらしい。彼女は困った様子で「もう、お二人とも!喧嘩はダメですよ!」と仲裁に入っているが、まるで馬の耳だ。「だめだこりゃ。まぁた、あいつらやってんのか。飽きねえこった…」と一緒に任務へ出ていた富嶽も呆れ顔で漏らした。
ウタカタ本部の受付常駐している木綿は、梅の髪飾りが似合う今年十七になる女の子だ。任務に出る時は「いってらっしゃい」「お気をつけて」と明るく見送り、また任務から戻った時も「お怪我はありませんでしたか」「無事に戻ってきてくださって嬉しいです」と、笑顔で隊員たちを案じてくれる。そんな細やかな心配りができる健気な彼女はもちろん周りからの信頼も厚く、名実ともにウタカタの看板娘なのだ。その上器量よしとくれば、放って置く男はいない。だが幸い…と言うべきか彼女はお頭大和の娘でもあった。
とあるモノノフ隊員は、ある日木綿を食事に誘ったらしいが父の夕食を作らねばならないからと断られ、またある隊員も祭りへ誘ったらしいが毎回あと一押しという所で息吹や相馬と“偶然にも”居合わせ彼女から離されるのだという。加えて何故かその後は、餓鬼や陰摩羅鬼の大量討伐の任を充てがわれてしまうらしい。皆、口が裂けても職権乱用という言葉は発しないが…、そんなわけで彼女を食事や散歩に誘いたい男連中は大勢居るが、頭の愛娘に手を出す猛者は今日日、目の前の自称伊達男と英雄以外にはそう居ないのである。
木綿もまだ仕事が残っているだろうに、このまま二人の相手をしていては終わる仕事も終わらないだろう。息吹も相馬も任務から帰還したばかりだ。雑務は溜まっている筈である。
富嶽は陽介の脇腹を肘で突いた。
「おい隊長出番だぜ」
富嶽も何度もこのような場面に遭遇し、木綿に助け舟を出しているが、後々息吹と相馬からよくも邪魔をしてくれたなと酒場へ連行され、お前も女の一人や二人…などと年長者の説教が始まるらしいのだ。今日は陽介が一緒なので回避手段を得たと言わんばかりに、この騒動の一幕を楽しんでいるかのようだった。もちろん陽介だって困っている木綿を助けたい。ここは隊長権限を遺憾なく発揮すべき時だった。意を決し、着物を整え受付へ向かった。陽介に気づいた木綿は「陽介さん!おかえりなさい!」と自身が困っている状況でもねぎらってくれる。まったく心の中で涙が出そうだった。ところが次の瞬間、陽介は我が耳を疑った。
「あ、あの!息吹さん、相馬さん!実は私、陽介さんとお約束しているんです。ですので…、またの機会に!」
寝耳に水の約束に陽介は目が点になった。木綿と約束をした記憶など全く無い。間抜けな視線が木綿と通うと、彼女は机の天端から見えるか見えないか程の位置で、懇願するように手を合わせている。口元はわずかに「陽介さん!今だけ!ごめんない!」と言っていた。ここで一肌脱がねば男も廃るというものだ。陽介も木綿の寸劇に乗った。
「そういうわけだ。息吹、相馬」
腕を組み得意げを装うと、二人は陽介を訝しんでずいと木綿に詰め寄った。
「木綿ちゃん、あんな奴の言いなりになることは無いんだぜ?」
「左様、木綿殿はお優しい。陽介のやつに無理に付き合わされているのではありませんか?」
受付に腕を乗せていた二人は、半身を乗り出している。木綿は若干顔を引きつらせ、胸の前で遮るように両手を掲げると「違います!違います!」と手を振った。
「私がお願いしているだけです!あ、もうこんな時間!そろそろお頭と桜花さんが御所会議から帰ってこられますよ!」
息吹は上官の名前に過敏に反応すると「そ、そうか…」とぎこちない笑みを浮かべている。報告書も挙げず、受付で油を売っている事が桜花に知れれば、また雷が落ちるだろう。相馬も愛娘を口説いている最中、大和の帰還に出くわせば、気まずいに違いない。二人はようやく折れるとまた誘いますなどと言って、本部を後にした。すれ違いざま、息吹と相馬からじっと嫉妬に燃え盛る暑苦しい視線を浴びた。
「お前も大変だな…隊長」
ま、せいぜい頑張れと肩を叩かれる。富嶽は陽介に報告書を預け、自身は鍛錬があるからと言って先に本部を出てしまった。陽介は預かった書類を木綿に渡す。報告内容を手際よく確認し「先程はすみません」と木綿は顔を上げた。
「いや…、俺からもあの二人には言っとくよ。木綿ちゃんを困らせるなよって」
ありがとうございますと肩をすくめた木綿はとんとんと書類を揃え、適当な箇所へ印を押している。こうして本部へ報告を上げ終わって初めて任務完了だ。無事に今日の仕事を終え本部を出ようとした時、陽介は木綿に呼び止められた。
「陽介さん!あの!今晩空いてますか…少し相談があって…」
言葉尻が小さくなり、茶番が茶番ではなくなりそうな雰囲気には違和感を感じた。普段の彼女なら、久々にウタカタへ大和が帰る日だからと、就業後は真っ直ぐ帰宅するはずである。ところが、木綿自ら陽介を誘うとは、一瞬聞き間違いかとも思った。が、木綿はわずかに顔を赤らめうつむき加減だ。こんな彼女は…見たことがない。乙女の恥じらいとでも言おうか…、やはり何かあるのだと思い陽介は快諾した。
「俺は、いつでも暇だから」
「ありがとうございます。料理屋さんへ先に入っていてくれますか。お父さんの晩ごはん用意したらすぐに向かいます」
「了解」
木綿の指定した料理屋は、里の中心から少し外れた所にある。陽介もよく富嶽と飲みに行くところで老夫婦が切り盛りしている。佇まいは随分と古めかしいが味は最高だ。最近になって霊山から一人息子が料理修行を終えて帰ってきたと聞いている。暖簾をくぐり、野太いいらっしゃいませを聞くのは今晩で三度目だ。厨房にはガタイの良い男が煙を浴びて串をひっくり返している。
木綿の様子からするにワケありだと思った陽介は、ひと目が気にならない座敷を案内してもらった。暫く品書きなどを眺めていると、再び野太い声と共に木綿の声が届いた。
「おまたせしてすみません」
正面に座った木綿は、普段の赤い着物ではなく一重に羽織だった。はつらつとした仕事ぶりしか目にしていないからか、装いの違いからか、妙に大人びて見える。
適当に注文し、暫くはふたりとも腹を満たすことに専念した。木綿は出てくる品に興味津津で「これとても美味しいです。うちでも作れますかね…」と箸を動かしている。
木綿を伺うに、何故今晩誘われたのか甚だ疑問だった。彼女が抱きそうな悩み、相談事は何だろうかと想像してみる。昼間の息吹と相馬の件もそうだが、受付嬢の仕事は思いの外多忙だから一人でこなす事が難しいとか…、人を増やしてほしいとか…、本部絡みであればこんなところだろうか。やはりお頭である大和には直接は相談し難いのかもしれない。色々と逡巡していると自ずと木綿をまじまじと見ていたらしい。何度かぱちぱちとまばたきした木綿は首を傾げて陽介を見返していた。
「あ、ごめん。今日はどうしたのかなと思ってさ。木綿ちゃんから誘われることが珍しかったんで」
そう言うと、木綿は箸を置き本部で見せたようにまた頬を染めてうつむいた。下唇を噛んで意を決したかのように陽介の名を呼ぶ。
「陽介さん!お、大人の男性の方って、どんな女性が好み…なんでしょうか」
「うん…?」
「私…、そ、相馬さんが…」
何故そこまで言わせてしまったのかと、一言目の問で理解出来なかった己の鈍さを呪った。要は木綿は、相馬に恋心を抱いていると解釈して間違いない。木綿は恥ずかしさで首まで真っ赤になっていた。
「木綿ちゃん、もしかしなくても…。その、そういう事なんだよね…?」
ぎゅっと目を瞑った木綿は、自身の気持ちを素直に認めたいのか、そうでないのか首を縦に振ったかと思えば、左右にも振っている。陽介にはその意味が全く分からずにいると、いつの間にか木綿の頬には涙が伝っていた。慌てて陽介は手持ちの手ぬぐいを差し出した。
「私、分からないんです。こんな気持ち初めてで…。でも相馬さんにはもっといい人が居るんじゃないかとか…、」
「歳が離れてる事気にしてる…?」
顔を上げた木綿は頷いた。目に涙を一杯に溜めて、今にも溢れそうなものをまた陽介は拭ってやる。その度に木綿は「すみません」と謝る。こんなに可愛い女の子を泣かせるとは、相馬も罪作りなやつだと心の中でごちた。木綿の頭をぽんぽんと撫でて、店の女将に温かい茶を頼んだ。両手で湯呑を抱え木綿は一口飲むと、少しは落ち着いた様子だ。
それから、木綿は少しずつ話し始めた。
陽介もなんとなくだが、予想はついていた。二人の出会いは八年前のオオマガドキにて瀕死の相馬を助けたのが始まりだ。ウタカタ付近に派遣されたまだ英雄の名を持たないモノノフ相馬は、大和と共に死線をくぐり抜け何百という鬼を退け、ウタカタの里から驚異を振り払った。木綿にとっては彼の後ろ姿はさぞ輝かしく写っただろう。英雄と呼ばれていない頃から、木綿にとっては英雄で里の恩人だ。相馬と別れ、暫くは相馬のことも中々思い出さなかっただろうが、それが先般の変事があり、彼女の中で次第に特別な思いへと代わっていったのかもしれない。
再び里が驚異にさらされた時、相馬は先陣を切って金砕棒を振るった。何体倒しても襲い来る大型鬼、仕舞いには里付近に現れたミフチ、カゼヌイ、ゴウエンマ…。今だから言えるが、正直陽介もあの時ばかりは背水の陣で挑んでいた。だが、戦前の相馬の言葉が殊更頭に残っていたのだ。「木綿殿に何が返せるだろうか…」と。相馬は受けた恩をただ返したいだけだと言っていた。陽介もまったく同じ気持ちだった。遠く東の地から派遣された新人モノノフを快く受け入れてくれ、あまつさえ隊長職を任せてくれた仲間たちを、里の人々を決して死なせたくはない。そう思いながら戦っていた。
結果、今こうして色恋に悩める乙女と食事ができるという日常がある。
戦いが終わった後、木綿は相馬に駆け寄り礼を告げていた。それは里を救ってくれた心からの感謝と、再び里へ帰還した相馬への安堵も含まれていたのは間違いない。
以来木綿は、自然と相馬を目で追ってしまうのだと言う。
ただ英雄相馬は、里で人気者だ。闊歩すればすぐに里の女性たちが取り囲み、英雄譚をせがまれれば披露し、黄色い声が里に響き渡る。本部にも時折届いている事だろう。
例えばの話、少しでもずる賢い人間なら、受付嬢という立場を使って特定のモノノフと懇意にすることなど容易いが、木綿は決してそんなことはしない。就業中はしっかり務めを果たし、息吹や相馬の誘いも断る。しかし断るときの彼女の心情を思えば陽介はなんともやりきれない気持ちになった。彼女の本心は二つ返事で受けたいに違いないのだ。ただ、お頭の娘として、里の受付嬢として、木綿は立派な振る舞いに努めている。
また相馬に声を掛けられることで、日に日に気持ちは募るが、あるいは息吹とただ単に競っているだけなのではと邪推してしまっているらしい。
「木綿ちゃん立派だよ本当。辛かったな…」
「陽介さん…。私、どうしたらいいのか、わからないんです…。きっと相馬さんから見たら私なんてまだ子供ですし、素敵な女性はたくさんいますし…」
「何言ってるんだよ。木綿ちゃんも十分すぎるほど素敵な女性だよ。ったく相馬じゃなかったら俺が真っ先に嫁にもらうのにな」
冗談を言うと、木綿はようやく笑ってくれた。
兎に角、この問題はなかなか骨が折れそうである。例え双方の気持ちが通じたとしても、離れ離れになることは必然的だ。百鬼隊は、特に参番隊は戦地を転々とする。その分他の隊よりも命の危険は増す。相馬に限っては死んでも死ななそうだから、心配はしていないが遠い地でただ待つだけというのは寂しい思いをするだろう。木綿にその覚悟があるのかそこが問題だ。
「木綿ちゃん、酷なこと聞くかもしれないけど…、その大丈夫?あいつ多分任務で僻地ばっかりだと思う」
「それは…、」
泣き止んだ木綿は、陽介を真っ直ぐに見据えた。その時、店の中が急に賑やかになった。どうにも客が入ってきた様子だ。陽介は耳をそばだてた。なんとなく聞き覚えのある声だ。木綿ははっとした様子で思わず両手で口を覆っている。
「おい、富嶽飲め!そして俺の話を聞け!」
「ったく、こらおっさん!飲み過ぎなんだよ!おい、それ俺の酒だろうが!」
やいのやいのと騒がしいのは、何と富嶽と相馬だ。二人の声は店内によく響く。壁越しに相馬がいると分かると、木綿はまたうつむいてしまった。これでは当分出られそうもない。時間は大丈夫かと問うと、彼女は小さく頷いた。すっかり二人の騒がしさに飲み込まれ話の続きがし辛い。木綿に、腹一杯になったかと尋ね、甘味などを勧めていると酔っぱらった相馬は、富嶽に管を巻いていた。
「富嶽…俺は、木綿殿を嫁に貰いたい。あの娘があって、今の俺がある。英雄の肩書きがあるのも、命を繋いでくれたあの娘のおかげだ…、なあ!そう思うだろう!」
「ああもう、そりゃ俺は何十回と聞いてる。俺はいいから、木綿に直接言ってやったらどうだ。いつまでもうじうじやってねえでよ。英雄の名が泣くぜ、ったく」
「…木綿殿の、寂しい顔を見たくはない」
「勇んだり、消沈したり忙しいやつだな。まあまずは大和を攻略しろ。話はそれからだ」
富嶽はそういうと、腹の底から笑っている。隣の相馬は、机に項垂れていた。
木綿の自身が相馬に見合うかどうかは、全く心配には及ばないだろう。十中八九二人共惹かれているのは間違いない。相馬の言葉に耳まで真っ赤にしている木綿はお茶を一口飲んで、大きく深呼吸をした。さっきの話ですけど…と口を開いた。
「私、思ったんです。相馬さんとまたこうしてウタカタで会えたように、別かれることを想像するよりも、また出会うことを考えていたほうが楽しいって。だから、例え離れても大丈夫です」
そう言うと、いつものように笑みを浮かべた。
確かにそうだと思った。受付からいつもモノノフたちを見送る彼女らしい言葉だ。木綿は皆の心配をしながら帰りを待つばかりだが、いつも隊員たちが帰ってくることを信じて里で待っていてくれる。
そんな木綿に慕われている相馬はなんて幸せものだろう。明日は隊長権限で陰摩羅鬼の大量討伐に割り振ってやろうか、と考えた。