蕾咲く

「さっきから何度も言っているが目的はかぐや様の視察だぞ。これもれっきとした護衛なのだからな!」

 結局自分が一番楽しみなのね…。海夜が呆れ気味で返事をしたが、八雲は気にもとめてない様子だった。
 年季が入った杉の一枚板の机に向かい合う彼は「名所見所案内・中つ国永久保存版」と表紙にでかでかと書かれた観光雑誌を真剣に読んでいる。太く勢いのある見出しは、どうだ行きたくなるだろうと言わんばかりに、特集を組んだ里名を全面に押し出して中つ国の地図も詳細に描かれていた。八雲の視線は右に、左にと見開いたページを何度も往復し「ここに行ったなら、次は此方が近いか…?いや、こちらのほうが…」などと独り言を言っている。海夜は本部に呼び出されて小一時間ほど経つがこのままだと雑誌に穴が空きそうである。

 そもそもなぜ八雲がこのような雑誌を熱心に読んでいるのかと言えば、事の発端は言わずもがなかぐやである。
 先日彼女は念話による霊山巫女会議に出席していた。その際議題の一つに鬼の蹂躙により疲弊した観光地を盛り上げようと、中つ国の観光特集と題し、雑誌の刊行が決定したのだそうだ。発刊された雑誌はこのほど雑誌も到着し、早速本屋に並べられた。マホロバからは「昼も夜も景色が素晴らしいマホロバ丘陵地」として、里の各所が紹介されている。国全土にマホロバが紹介されると知れ渡るや、本屋には連日雑誌を求めて客が絶えず、里の者も特集された場所へ嬉々として足を運んだ。かぐやももちろんいの一番に雑誌を読んだ。彼女はあまり出歩くこともないので、自里とはいえ知らない場所も多く、物は試しと八雲に名所とやらへ言ってみたいと頼んだのである。かぐやたっての頼みとなれば八雲も断れず、視察の名目であれば…と仕方なく首を縦に振った。(海夜が思うに、八雲は一番に喜んでいたのではと推察している)かぐやが出かけるのであれば、相応に護衛が必要となる。そこで海夜に白羽の矢が立ったのだ。

「いいか、海夜。かぐや様直々のご指名なのだからな。これは遊びに行くのではない。遊びに行くのではないぞ」
「わかってる。もう何回も聞いたわよ。ところで雑誌の場所は一応里内みたいだけど…かぐや様が結界維持できる近場に絞った方がいいわよね」
「そうなのだ。それを考慮すると…行ける箇所は紹介されている場所の四分の一にも満たない…」
「結構限定されちゃうわね」
「折角の機会だ、どうすればかぐや様に喜んで頂けるのか…。中々順路も場所も定まらぬ!」

 ああー!っと頭をかきむしって八雲は机に額を付けた。後頭部から垂直に整えられた髪が心なしか覇気がない。雑誌は見開かれたままぱたりと倒れる。手に取った海夜は、背表紙を八雲の頭にこつんと当てた。

「そんなに難しく考えずに、雑誌の所と、近場で八雲がいいと思う場所に連れて行ってあげたらいいんじゃない?」
「私が、良いと思える場所か…」

 頬を机に付けたままポツリと呟いた。途端がばりと起き上がった。良い案が浮かんだらしい。先程まで思い悩んでいたのが嘘の様に、紙につらつらと予定を書き始めた。

「我ながら完璧だ!よし、これで行こう!海夜、明日早速下見だ!これならかぐや様も喜んで下さるに違いない!」

 自身が書いた紙を眺め、八雲は満足げにそう言うと慌てて立ち上がった。紙を折りたたみ懐へ仕舞い、夜の警護だと言って急いで本部を出ていった。結局呼び出されたものの、海夜は別段することもなく別れたが、明日を楽しみに帰宅した。

 翌日、八雲は朝早くに海夜の自宅にやってきた。海夜は戸を叩く音で目覚めたのである。眠い目をこすって八雲を招き入れると、まるで母親のように早く支度をしろと海夜の世話を焼いた。まだ約束の時間には十分にあるが、八雲はかぐやの事となるとお構いなしだ。「こんなことだろうと思い、握り飯を作った。行きがけに食べろ」と、手ずから朝食を用意してくれたらしい。
 家を出ると軒先の柱には馬が繋いであった。

「八雲、馬で来たの?」
「当たり前だろう!かぐや様が回られる日と同じ条件だ」
「なるほど」

 八雲はそそくさと海夜の後ろに回るとおもむろに両脇腹に手を伸ばした。

「私の前に乗れ。あぶみに足は届くか?」
「だ、大丈夫…。ありがとう」

 よっこらしょと跨ると、八雲も海夜の後ろに座った。二人分の重みに馬がぶるりと頭をふって、八雲はどうどうと手綱を軽く引き出発した。上下に揺られながら、海夜は八雲が拵えた握り飯を頬張っている。具は梅干しと、昆布だった。

 下見もさる事ながら、道中は見回りも兼ねた。結界の境界付近は普段から警戒し過ぎるに越した事はない。任務中の隊員たちに言葉を交わし、二人は進んだ。
 少し傾斜がある道のりを辿り、遠回りをして目的地を目指した。海夜は行き先を詳しくは聞いていなかった。八雲に尋ねると「まあ、行けば分かる」と言って、着いた先は外様の居住区だった。騒動の一段落した今は、鬼内の人々も住まいを移ったりして思い思いに生活している。
 井戸端会議をしている婦人らの笑い声を背にして、桜の木を横切り川辺に出ると川沿いを上流へ向かった。坂を登り開けた場所に出ると馬を止め、海夜に降りろと言う。言われるがまま高台から見渡した風景に海夜は思わず息をのんだ。
 位置的にはサムライの陣所よりもまだ異界に近い場所だが結界はぎりぎりに入る場所で、ここからは里が一望できる。博士の家も、本部の大手門も良く見えた。特に刀也の桜が風に吹き上げられ朝日を映し広場にきらきらと揺蕩い、その花びらが遠くの岩屋戸に重なって落花する様は実に美しい。

「八雲、いい場所っ!こんなに一望できる所があるなんて。ここも雑誌に載ってたの?」
「いいや、ここは以前、刀也の奴に教えてもらった」
「刀也に…?」

 海夜が意外そうな返事をすると、八雲は少々困った様に笑みを浮かべた。
 サムライと近衛―― 事実上里が内乱状態に陥り、海夜たちがかぐやを攫い結界が解け、ゴウエンマと対峙した後、刀也に呼びつけられたのがここだったらしい。瘴気の霧が薄らいだ森を見遣り、八雲は当時を思い返している様子で言った。

「冗談だが…まさか、ケリを付けるために呼び出されたのかと思っていたが、実際はこれからの里の話しだった」

 家族や恋人を亡くした人も多く、収まらない怒りや混沌とした複雑な感情を孕みながら、どうやって外様と鬼内が進むべきか…。犠牲を伴わず里を守る術を少しの間だったが話をしたらしい。二人とも部下の前では毅然とした態度でなければならず、昨日の今日でお手手繋いで仲良しこよしというのも内部の反感を買ってしまう。一度腹を割って話すには、ひと目を気にしない場所が必要だった。それがこの場所だったのだ。里の行末を語るには、成る程この見晴らしは打って付けである。

「貴様の話も出た。あの時は私も、刀也も我れを忘れていたばかりに協力という言葉は頭になかった。侵入したゴウエンマを甘く見ていたのかもしれん。撃ち払えたのも加勢してくれた海夜のお陰だ」

 あの混乱の最中、博士から「かぐやを誘拐しろ」と言われた時は正直戸惑った。里の結界を解けば大勢の民が危険に晒される。焔と二人して対立する両者の間に躍り出て大立ち回りを演じたが、正直屋根の上では足が震えていた。これが正しい判断なのか、被害を最小限に留める最善策なのか…。だが、事情を説明し里を出ましょうとかぐやを説得すると、彼女は幼いながらも勇気を振り絞り、カラクリ部隊を信じてくれた。そして里に戻ってからは一目散に刀也を守り鬼の前に立ちはだかった。
 あの時は皆が守りたいものを守ることに必死で、前に進んだ結果がきっと今に至るのだ。
 そういえばいつもカラクリ使いとしか呼ばれて居なかったが、内乱騒動の後からきちんと名前を呼んでくれた…様にも思う…。景色を眺めていた八雲が振り返り、視線が合った。朝日が眩しく海夜は目をそらし、周辺に異常がないかを確かめると次の場所へ行こうと八雲へ言った。
 その後も、雑誌の場所の他に八雲が選んだ所は、里の櫓や防人砦の高台など、海夜たちと共に死線を超えた場所だった。先の戦闘後は工作兵により復旧が成され、臨時拠点を開けるくらいには装備等の拡充が行われている。安全面も問題ないし、名所というには少し華やかさは無いかもしれないが、それでも景色だけは小説の挿絵のように素晴らしかった。これならかぐやが訪れても危険はないだろう。
 一通り回り終え、帰り道の八雲はいまいち不安そうだ。八雲の前に座る海夜にはわかった。小さなため息ばかりをついている。心配性の八雲らしい。

「八雲、そんなに心配しなくても、かぐや様は喜んでくれるよ。八雲が里の事を考えて色々手を尽くしてるのは手に取るようにわかるよ。いろんな復旧工事も指揮取るの大変だったでしょう?」
「里のためだ」

 若くして近衛隊長を任されただけの事はある。武働きも、隊の指揮も八雲でなければここまでかぐやに献身的にはなれないだろう。かぐやを一番に思うからこそ、近衛たちからの信頼も厚いのだ。

「八雲はすごいね…。本当に。私、一緒にモノノフとして働けて嬉しいよ」

 肩をすくめて海夜が笑うと、静かに馬が歩みを止めていた。不思議に思って、首をひねる。すると八雲はふいに手綱を握っていた手を片方離し、おもむろに海夜の腰に腕を回しぐいと抱き締めた。背には、八雲の体温が伝わる。僅かに心音は早い。海夜の肩口に八雲は顔を埋め「海夜…」といつになく低い声で呼ばれた。突然の事に驚いたが、嫌とも思わなかった。更に腕に力が入る。

「海夜、そのような事を、今言うな。私を試しているのか」
「そのような…って、本当の事だよ…」
「私も同じだ。海夜がマホロバに来てくれてよかったと思っている」
「…ありがとう、八雲」

 暫し時が止まったかのようだった。ただ耳に届くのは、葉の擦れる音と風の音だけだ。ゆっくりと漂う心地の良い空気にすべてを委ねてしまいたくなる。

「すまない。もう暫くこのままでもいいか…。嫌なら言ってくれ」
「ううん、私もこのままがいい…」

 顔を上げた八雲は海夜を覗き込んだ。どちらともなく引き寄せられる。
 触れるだけの口づけの後、笑い合って二人は里への帰路を辿った。