いく せい そう幾 星 霜
任務は里周辺の簡単な見回りが主だったが、今日の同伴者はお頭の大和だった。本部で帰りを待つのではなく、近頃は身内の体調不良だったり、些細な事にも隊員たちを気遣って役目を変わることもある。お頭としての執務にも忙殺されているだろうから、桜花たちと相談して任を行うと言っても大和は「お前たちこそ精一杯働いてもらわないと困るからな」と言って断られてしまう。だが、再び前線へ赴き剣を振るう大和は、イツクサの英雄と呼ばれた頃と寸分違わず、凛々しく逞しかった。
戦況が芳しくない時も隊員らを励まし、若いモノノフたちは大和の任務参加を心強く思っていたが、無論、お頭自らが前線に勇み行く様を良く思わない者も居たのは確かだった。将棋で言えば、王将が歩兵のように最前列にいるのと何ら変わりない。彼の行動によって万が一の事が起これば、里の運命までをも左右されかねないからだ。
お頭不在の里がある事実を薄っすら記憶の底から掘り起こし、心のどこかで不安に思わない者が居ないわけではない。
ただ、瑠衣は大和がこうして隊員たちと任を共にする理由は、何となくだが…、分かるような気がしていた。
もう二年ほど前になるだろうか。突如現れた蝕鬼の群れが大量にウタカタに押し寄せたあの日以来、大和は率先して任務へ出かけ、一緒になることが増えた。
増殖した蝕鬼が押し寄せたその日、軍師九葉が出した策は── 「ウタカタを捨てる」だった。
冷淡な九葉の物言いにあの時は皆言葉を失っていた。大和は毅然と振る舞っていたが、一番に心臓を握り潰される思いに違いなかっただろう。オオマガドキに匹敵する脅威が目前に迫っていたとはいえ、住み慣れた故郷を放り出すなど誰も望んでは居なかった。なのに九葉は、物量戦に持ち込めば敗北するとの一点張りで、人が生き延びるには逃げることが最善策だと提示してきたのである。
普段は大人しい那木も一番に異を唱え、一旦は援軍要請の為にシラヌイへ発った暦を数日待つ案を取るも、悲しきかな戦力だけが消耗される日々が続いた。
何体鬼を葬っても、先には黒黒とした鬼の壁が二重三重と地平に続いている。砦の守りで手一杯、隊員たちの疲労も極限状態へ差し掛かり、シラヌイ到着の吉報が無いままいよいよ手の施しようが無くなった。
九葉の最後通告に判断を迫られた大和は、里の住人を第一に考え苦渋の決断をモノノフたちに下した。彼の一人娘、木綿は、切迫した状況を理解し受け入れようとしていたが、ウタカタの思い出をぽつぽつと吐露し、いつもの明るい笑顔はぐしゃぐしゃになっていた。
初穂も、息吹も、富嶽も、桜花も、速鳥も、ウタカタで過ごした者たちは決して力のないモノノフではないのに、それぞれが己の無力さを嘆いた。当時はたった三月とはいえ、瑠衣も寝食・任務を共にしただけあり、土地を捨てる選択肢を取らねばならない状況は大層辛かった。ともすれば、初穂は尚の事、四十年の時を繋ぎとめる唯一の場所を離れられる訳がない。
最後まで戦いましょうと彼女の確固たる願いとその訴えに、皆が賛同し奮起した。九葉の命に逆らい、決死の覚悟で鬼に挑み、里にしがみついたのだ。
だが九葉の予想通り状況は悪くなる一方だった。
里周辺で大型鬼二体を仕留めた後、土煙と穢れの立ち込める中、更にゴウエンマの追撃を受けたのだ。既に小型鬼を何百と屠り、気力体力共に限界の上満身創痍だった。豪炎の拳が倒木の様に襲いかかり、空気が震え、間違いなく死を覚悟した。
しかしながら用意周到な九葉は “特別な采配” を用意していたのである。彼の取った策は、里の全戦力を投入すること。つまり、オオマガドキ以降お頭に就任してからその日まで、再び正面から鬼と退治することのなかった大和を戦線へ引っ張り出し、加えて橘花の力も要領よく配した最後の一手だった。見事それが功を奏し、窮地を乗り越えることができたのである。
鬼を遮る結界が突風を受けた戸板ようにパンと目の前に張られ、それに弾かれ怯むゴウエンマにすかさず大和が腕を薙ぎ払ったあの瞬間は、今でも昨日の事のように思い出す。隙きのない抜刀、寸分の狂いなくゴウエンマに狙いが定められ、真一文字に振り抜かれた太刀。不意を突かれた鬼の制止を逃さず、大和の左を固めた桜花の大立ち回りも見事なものだった。
今日のように大和と任務が一緒になれば、二人の世間話は自然と過日の武勇を語らってしまう。「もうその話は何度目だ?いい加減、お前も飽きないのか」と若干呆れ顔で諌められるが構わなかった。よろず屋の前でたむろしているモノノフ隊員が、己が武勇をいつまでも話していたい気持ちが今は良く分かる。季節が一周しても不思議なことに興奮が冷めやらない。
大和に直接尋ねたことは無いが、モノノフたちと任務に同行するのは、恐らくあの日が切っ掛けだろうと考えている。お頭だからとふんぞり返ることも無く、身分の別なく里の者と接する。それがウタカタのお頭、大和なのだ。
武勇と新人モノノフ時代の思い出話に花を咲かせつつ、見周りも終盤に差し掛かった頃、大和は「今晩どうだ。付き合わないか」と手で盃の形を真似た。夕暮れ時の任務完了であればお決まりのうかがいだった。二つ返事で快諾すれば大和は満足気に笑みを浮かべる。里へ帰還すると、足取り軽く大和の後について行った。
進む方角はいつもの食事処だろう。そこの煮魚は絶品だ。暖簾は手招くように風になびき、辺りの炊さんの匂いが益々空腹を誘う。
ところが、大和は「今日はそっちじゃないぞ」と店の前を通り過ぎた。疑問符を浮かべ更についていくと、辿り着いたのは彼の自宅だった。つまりは木綿の家でもある。「木綿、帰ったぞ」と玄関の戸を引き、大和は体を半分ひねり振り返った。遠慮するなと促されるが、お頭の家に招かれるのはウタカタに来て今夜が初めてだ。いくら信頼されているとは言え上司の自宅である。それは緊張もする。
「お頭のご自宅で、ですか?」
「なんだ。そう構えることもないだろう」
「木綿ちゃんとの団欒にお邪魔して良いものか、と…」
玄関先で問答していると、木綿が顔を出した。白い割烹着を身に着け、にっこりと笑っている。家の奥からは、煮炊きの匂いに混じって妙に甘い、珍しい香りが届いた。
「ちょっと、お父さん!早く入ってもらって!風も冷たいでしょう」
「ああ、すまん。ほら、酒の席では無礼講、といつも言っているだろう?分かったならさっさと上がれ」
「し、失礼しましたっ。それでは遠慮なく、お邪魔します!」
親子の家は、イヌマキに囲われた庭付きの一軒家だ。玄関から続く廊下からは枝を伸ばた沙羅の木が見え、その影には小さな池があった。「今は、金魚を飼ってるんですよ」と木綿はくすりと笑って客間へ案内してくれた。
部屋に通されて驚いたのは、既に三人分の膳が用意されていた事だった。大和に飲みに誘われたのはいつもの事であったにせよ、あたかも今夜の小酌が親子の予定に組まれていたかのような按配だ。準備の良さを少し怪訝に思いながら腰を下ろした。わざわざ自宅に呼ばれる程の大事な話でもあるのではないかと、モノノフという職業柄、ついつい悪い筋書きを頭に思い描いてしまう。ところが、大和といえば特に深刻そうな様子でもない。木綿も至って普通だ。むしろ彼女の鼻歌は周囲に花が咲きそうなくらいに調子がいい。
一度台所へ戻った木綿は、燗のついた酒を持ってくると早速二人に酌をしてくれた。膳には煮魚、なます、焼き物が二品、どれも美味しそうな木綿の手料理が乗っている。息吹には口が裂けても今晩のことは言えまい。
「お口に合うと嬉しいです。さあ、どうぞ」
猪口を掲げてぐいと煽った。今度は自ら大和に酌をする。大和も随分酒好きだった。いつぞやの勝負では富嶽と二人最後まで残り、互角にやりあったくらいである。翌日仕事にならなかったのは言うまでも無いが、あの時は、ウタカタに起きた一切の変事が全て片付き、皆がやっと一息つけた酒宴の晩だった。普段なら木綿のお説教が飛ぶところだろうが、一升瓶と共に幸せそうに眠る富嶽と大和には翌日の夕方過ぎまで眠って貰ったのを記憶している。
「あれからもう、二年も経つのか…」
感慨深く大和は呟き、深く頷き返した。
イヅチカナタを討伐し終えてから二年だ。今では里もすっかり元通りになり、美しい花畑の広がる湖畔も増えた。他に変わったことと言えば、人の出入りがあったことである。里には、ホロウと千歳が新たな住人として加わり、また幾人かのモノノフが去った。凛音率いるシラヌイ部隊、暦、軍師九葉と、相馬率いる百鬼隊参番隊、そして ──
「初穂ちゃん、今頃どうしてますかね…」
猪口を覗き込み呟くと、大和は頬を緩めた。
初穂は騒動の後、自分自身の見聞を広めるべく、各地へ赴く百鬼隊に同行したいと大和に許可を申し出たのだ。
各部隊、撤収の準備が始まった時からどうも初穂の様子がおかしいと思ってはいたが、息吹曰く「お子様だから寂しいんだろ、気にすんな」と言ってそっとしておく事にしたのだが、その実、寂しくなったのはウタカタに残されたモノノフたちだった。という落ちである。
からかう対象が居なくなり、暫く富嶽と息吹は静かだった。那木も初穂の底抜けに明るい声が里に響かず調子が出ませんねと、皆時折初穂に思いを馳せている。
すると大和は、「木綿、あれを見せたらどうだ」と何かを持ってくるように言った。戻ってきた木綿が手にしていたのは数通の手紙である。歳の近い大和、の娘である木綿は、初穂が出立してから暫くして手紙のやり取りを始めていたそうだ。
「まだ二三通くらいなんですけど…。でも一通一通が毎回とーっても厚いんですよ…!」
木綿は見えるように手紙を座敷に広げ、内容を掻い摘んで話した。
九葉、相馬との道中はそれはもう大変だと綴られていた。笑いをこらえる木綿の様子から何となく想像はつく。
軍師の肩書きがあるとはいえ、いまいち九葉は相馬を部下として見ていないのか、はたまたそれすらを諦めているのか、恐らくは両方だろうが…。几帳面で折り目正しい性格の九葉に対し、芯は通って居ながらも奔放で型破りな相馬は、何事にも大らかであるからして、かなり軍師殿から小言を頂戴するのだそうだ。彼曰く、言うことを聞かない英雄であるらしい。
鬼が現れればたちまち九葉の指示には一から十まで従う割りに、旅中生活に対してはあまり九葉の諫言は効果はない様子だ。その代わりに初穂がお姉さん役を買って二人をまとめている── といった内容である。三者三様、世代も違うあの面々では中々賑やかな珍道中であることには違いないだろう。夜遅くまで隊員らと晩酌をする相馬の傍ら、喧騒の脇で一人せっせと筆を執る軍師の姿がありありと想像できる。
先日は、目的地であるマホロバの里にようやく到着したと報せがあったのだそうだ。それから暫くは手紙が途絶えていたが、またつい最近、手紙が送られてきたらしい。
マホロバでは、過日のウタカタのように、中つ国を脅かす程の深刻な変事に見舞われてたそうだ。強大な鬼の出現に加え、鬼内と外様の対立が激化しマホロバは内乱状態に陥っていたという。しかし、初穂の大活躍によって事態は収束したのだと綴られていた。
改めて目を通した大和は、初穂の無事とともに、人の道を明るく照らす新たな可能性の報告にも、年甲斐なく胸が熱くなったと言った。
それは「カラクリ石」と「鬼の手」である。
ウタカタでは未知の道具は、瘴気に侵された土地を浄化する作用があるという。初穂の最後の一文には、「ばっちり技を習得して、ウタカタにもいい報せを持って帰るわ!楽しみに待っててね」と書かれてあった。「逞しいもんだ」と大和は嬉しそうに酒を煽った。
「珍道中は目の当たりにしてないけど、何だかその場で見た気分になる手紙ね。それにしても初穂ちゃん本当に頑張ってて…。負けてらんないな」
「私も、初穂さんのお手紙読んで、少し里の外を見てみたいなーって思うことあるんですよ」
木綿の言葉にぶふっと酒を吹き出したのは大和だ。酒が熱かったと言いながら、口の端を拭う。慌てて木綿が手ぬぐいを口元に押し当てた。
「もう、お父さんったら、冗談よっ!」
「い、いや…お前が初穂のように見聞を広めたいと言うなら、一向に構わんが…」
「そしたらお父さんの人参嫌いが益々加速しちゃうじゃない」
新しいお酒持ってきますね。そう言って木綿は空になった徳利を数本盆に乗せ席を立った。台所へ向かう後ろ姿を大和は眺めている。彼女は今年で十九だ。彼女の友人たちは既に幾人かは身を固め、暖かい家庭を築いていると聞く。
木綿は幼い頃に母親を亡くし、それからは大和が男手一つで彼女を育ててきた。普段は何事もにも悠揚せまらず采配を振るい、このウタカタの里の一切を取り仕切る長だが、大和とて人の親だ。手際よく台所に立つ彼女のすらりとした立派な背を眺める横顔は、酔いも相まってか相好が崩れる。本部では見ることのない柔らかい父親の顔だ。
初穂が里を出たいと言った時ですら、かなりの間九葉と議論していたが、木綿にまで及んでしまっては、大和の心臓はいくつ合っても足りないだろう。
瑠衣は手近の徳利を取った。軽く持ち上げると、気づいた大和はすまんなと一言、残りの酒を飲み干して猪口を瑠衣へ差し出した。とくとくと注ぎながら、凛音やシラヌイ、暦の近況へ話は移り、更には千歳とホロウの話題も出る。
千歳は薬学に長けていることもあり、最近は那木と新薬の研究に熱心だ。ホロウは相変わらず速鳥に師匠と崇められ、任務が一緒になると野生の天狐で会話の訓練をしてくれと頼まれるらしい。先日ホロウから「速鳥はなかなか上達しました。及第点です」と、大和に報告があったそうである。
そうして他愛ない話をしていると、ふとまたこの家に来た時と同じ甘い香りが鼻をかすめた。その方向を見遣ると台所から木綿が戻ってきた。
ところが、彼女が手に抱えているのは…徳利ではなかった。盆には、丸くて白く平べったい円柱を形どった…初めて見るモノがどんと乗っかっている。大和はその白い円の正体を既に知っている様子で、呆気にとられた顔を見て声を押し殺していた。とはいえこの盆のものは見当がつかない。木綿はその白い物体を座敷の真ん中に置くと咳払いをした。
「…ごほん。実は今日、瑠衣さんをお招きしたのは、ウタカタに来て隊長就任三年目をお祝いしたいと思いましてお呼びしたんです!」
木綿は大和の隣に座ると「大分、遅くなっちゃいましたけど!」と言って、父親と腕を組み満面の笑みだ。
すっかり職務に忙殺され、己が隊長になった日など忘れていたが、木綿と大和は覚えていてくれたらしい。
「これは私と、お頭…じゃなくて、お父さんからの、少しばかりの感謝の気持ちです。初穂さんに “けーき” なる西洋のお菓子の調理法を手紙で教えて頂いたので、頑張って作ってみました。召し上がって下さい!」
なんと、この白くてふわふわしたものは生乳から作られた“くりいむ”というもので、綺麗な装飾だが食べることが出来るのだそうだ。その上には、可愛らしい木苺が、ちょんちょんと格好良く乗っかっている。
甘味好きを覚えていてくれた木綿は、マホロバに居る初穂から特別な日に作ると良いのだと教わったらしい。そして、ウタカタに赴任して三年が経った隊長への贈り物として、わざわざ材料を調達し手作りしてくれたのだ。
思いもよらないもてなしに、木綿と大和を何度も見遣った。
東の地からウタカタに赴任して早三年、戦闘のいろはも覚束ないままに幾多の困難を共にしてきた。
窮地に陥る度に、もう駄目だと挫けそうになる時はいつでも、大和や木綿を始め、里の皆が支えてくれた。隊長に任命された時には不安で仕方無かったが、今は二度の天変地異に陥る事態を収め、収束した鬼の脅威から里を守る日々が続き、里の者は“鬼”に、ではなく人の営みの中で一生を終える日々が続いている。
嬉しさのあまり次第に視界が歪んでいた。木綿がそっと手ぬぐいを差し出した。
「今世のムスヒの君、と。言われてますけど…。私たちにとっての隊長には変わりありません。東の地での事は、あまり覚えていらっしゃらないと聞きましたけど、ウタカタは故郷だと思って下さい」
大和は猪口に口をつけ、黙って聞いている。彼女の言葉の一言一句に深く相槌を打っていた。
「そういう事だ。これからも期待しているぞ、隊長」
「ありがとうございます。就任日覚えてくれていてとても嬉しいです…。美味しそう。いただきます」
初めて口にする西洋菓子は大層美味で、いつまでも口いっぱいに幸福感が広がっていた。