変わらない
空間転移とは、ある地点から、ある地点へ物理的に移動可能な現象のことをいう。それは何も同時系列の移動だけに限らない。過去、現在、未来、或いは時空の狭間、次元を越えての移動―― そのことを、霊山では空間転移と定義していた。この現象は、鬼の出現に大きく関わっている。生殖機能の無い魑魅魍魎が神出鬼没であるのは、あらゆる時代のオオマガドキで溢れ出た無数の鬼が、各々の時代でミタマを喰らい、そのミタマ自身が鬼の媒介役ではないかと、昨今の研究で明らかとなったのだ。
この仮説に研究者たちは大いに湧いた。あの馬鹿デカイ図体が移動できるのだから、我々人間も、意図的に時代を行き来できるのではないか、その可能性を見出したからである。
以来、霊山陰陽方は、妖術のような鬼の発現現象を人間へ応用すべく人体実験による研究を始めた。
この研究は、軍師識を始めとしたごく一部の上級武官しか知り得ない機密事項として扱われ、なにも知らされない霊山のモノノフたちが特別訓練の名目で次々に研究所へ送られた。実験では、宿したミタマや自らの魂を強制的に引き剥がされ、カラクリ石や高密度結晶に封じ、それらを留める研究が日夜行われた。正気を失い発狂する者もいれば、過酷さに耐えられず命を落とす者もあり、使い物にならなくなったモノノフは偽りの功績と名誉を墓石に刻まれ、深い樹海へ破棄されたのである。
その実験体の一人に梨桜も入っていたわけだが、彼女は破棄された後、全ての記憶を失いながらも運良く生き延び、樹海から深い山谷を彷徨っていた所を九葉に拾われ、特務隊として再びモノノフとなった。しかし、幸か不幸か彼女は横浜防衛戦時に鬼門に飲まれ、時空を彷徨し十年後のマホロバへ流れ着いたのである。
当初、その話を聞いた相馬は、前任地のウタカタの里でも同じような娘を二人も知っていただけに、然程驚きはしなかった。
一人は神隠しに遭い四十年もの時が経った里に戻った初穂、もう一人は鬼門に落ち、千年後の土地へ放り出された千歳だ。ふたりとも歳を取らず、時を飛び越えていたのだ。まさに梨桜の状況と酷似している。しかし、梨桜にはただ時間を越えただけではなく、その二人とは変わった、不思議な特異体質が発現していたのである。初穂や千歳の一方通行的な彷徨者のそれとはまた違っていたのだ。
梨桜に起こる不思議な現象(恐らく実験の後遺症的な現象と思われる…)は、鬼を倒し、彼女にミタマが宿った後頻繁に起こっていた。
新たなミタマを宿した彼女の体は青白い光を放つと、その場から姿を消し、しばらくすると元の場所に戻ってくるのである。博士曰く、彼女はミタマを媒介に、小規模な空間転移を行っているらしかった。
幾度も任を重ね、見慣れた現象ではあったが、やはり相馬としては彼女の体が気にかかる。いくらミタマの助力であったにせよ、遠隔地へ瞬時に移動することで体に負担がない訳がない。今しがた、梨桜は白い光と共に戻った。ふらりと上体が傾き、相馬は慌てて梨桜の肩を支えた。
「っと…、何度も目の当たりにしているが、本当に体に支障はないのか?」
「うん大丈夫、全然平気」
ちょっと着地に失敗しただけだよ、と、彼女ははにかんで返した。
記憶を失った梨桜は、過去、自身が何者だったのか、その現実を識に突きつけられても気丈に振る舞っていた。身に起こる妙な現象についても思い悩む様子もなく、今ある「隊長」という立場を全うしている。
マホロバに来たばかりの頃は、己が存在を自問自答し続けただろうと思うと、葛藤ありながらも里の為に献身的に働く様に相馬は感心していた。彼女の直向きさは根っからの性分なのだろう。
十年前のオオマガドキで、九葉の部下として最前線に立って居た時も、今と変わらず仲間思いで、任を遂行する為に最後まで九葉に従い、武器を奮っていたに違いなかった。マホロバにシンラゴウが現れた時、九葉が梨桜へ寄せた全幅の信頼を思い返してもよく分かる。そういう、彼女だからこそ相馬は気にかかるのだ。
梨桜が、いそいそと拾得物を袋にまとめ、「里に帰りましょうか」と皆に言った。袋には、この世のものとは思えない異界の代物がたんまりと入っている。ぱんぱんに膨れたそれを、相馬は梨桜から預かり担いだ。
今日は、焔、刀也、初穂も一緒だ。やっと任を完遂でき、焔は「腹が減った」と擦りながら先頭を進む。任務中もしきりに腹が空腹を訴えていたらしく、年長の初穂が任務についてのいろはを、口酸っぱく告げていた。
「だいたいねえ、ミフチを背後から攻めましょう!って言ってるのに、あんなにお腹鳴らしてたら気づかれちゃうでしょっ!」
「しょうがねえだろー。朝飯食えなかったんだしよ。人間の本能には逆らえねえっつの」
「寝坊助さんがわるいんじゃないの。本能のままに生きすぎ!ほんっと、今日紅月が一緒じゃなくてよかったわね」
「げ、あいつに余計なこと言うなよ…。俺は今日も真面目に働いたんだぜ?」
やいのやいのと言い合いう二人の背を追って里の門を通り過ぎようとした時、ふと門柱に人影を感じた。振り返ると、噂をすればなんとやら…。そこには紅月が柱に寄りかかり、帰還した焔に満面の笑みを浮かべている。不穏な空気を察した焔は、ブリキ人形の様に首を動かし、紅月を視界に入れた途端、一歩二歩と後ずさった。
「皆、おかえりなさい。焔、初穂の言っていた事ですが、今日は、いいえ、今日も寝坊したのですか?」
「い、いやあ…」
「雷蔵殿と遅くまで賽子遊びをしていたんだとか…?」
にっこりと笑う紅月に、相馬も顔が引きつっていた。何を隠そう、相馬も昨晩、二人とともに丁半に興じていたのである。昨日の焔は特に絶好調だった。勝ちが勝ちを呼び、席を離れられなかったのだ。相馬と雷蔵が帰った後も、外から来た商人とまだ粘っていたのである。
どうなんですか?と更に紅月に追求され、焔もたじたじだ。いよいよ雷が落ちると悟ったのか、門から里の外へと反転した。その時、焔の懐から賽子が落ち、梨桜の方へころりと転がった。梨桜は屈んで拾い上げる。途端、周囲に居た人間が皆青白い光を体中から放ち始めた。まるでミタマを宿した直後の梨桜のようだった。
体型に沿った細い光の線は次第に太くなり、紅月、相馬、焔、刀也、初穂…この場に居る者をみるみるうちに飲み込んでいく。あれよという間に五人は姿を消し、梨桜も目の前が真っ白になっていった。
再び目覚めた時、梨桜は青々とした緑の地面に頬を付け、うつ伏せで倒れていた。ゆっくり体を起こすと、隣には相馬も同じく横たわっている。慌てて相馬を揺さぶると、僅かに身じろぎした。梨桜をかばってくれたのか、今しがた梨桜が横たわっていた辺りに、相馬の逞しい腕が伸びている。
「相馬っ!しっかりして!(…一体、何が起こったの、、)」
辺りを見回しても、深い木々に覆われた森がずっと続いているだけだ。横たわる相馬を今一度揺らすと、唸り声を上げぱちりと目を覚ました。がばりと起き上がると、相馬は存在を確かめるように梨桜の肩をがっしりと掴んだ。
「梨桜っ!怪我はないか!」
「だ、大丈夫…。相馬も怪我はない?何だかここ、マホロバ界隈じゃない感じがする…」
「ああ、確かにな…。他の連中も見当たらない。皆無事だと良いんだが…」
そう、里では皆の体が青白く光っていただけに、この場に相馬と梨桜だけというのもいささか不思議ではあるのだ。或いは、あの青白い光からして、皆別々のどこかへ小規模な空間転移を行った可能性も捨てきれない。
相馬は、取り敢えず開けた場所に出ようと言い、梨桜に手を貸し立ち上がった。
まだ日中だというのに、大樹の葉が鬱蒼と生い茂り地面に太陽が届きにくい。薄暗い山中を感を頼りに進む。幸いにも川を見つけた二人は、川下へ辿ることにした。集落か、或いは人の居る場所へ到着出来るのではと考えたのだ。
下生えや、蔦の絡まる道なき道を突き進むことおおよそ一時間ほど、ようやく開けた場所に近づいたと思いきや、相馬は梨桜の二の腕をがっしりと掴んで木々の間に隠れるようにして引き寄せた。真正面にお互い顔が近い。しかし相馬は険しい顔をして、唇に人差し指をあてがった。梨桜は相馬の意味を察し、息を殺して辺りをうかがった。神経を研ぎ澄ませば、遠くから地響きが伝わるのを感じる。空気を震わす咆哮も聞こえてくる。明らかに鬼のそれだ。
「どうにも、飛んだ先も鬼の世らしいな。こちらへ向かってくるな」
「迎え撃つ?」
「出てきたならば、やってやるしかないな」
「了解しました」
鬼の雄叫びが益々近くなった。相馬も梨桜も獲物をしっかりと握りしめ、現れるのを待った。一歩、赤い足が見え、枯れた大木を思わせる赤い腕がぐんと伸びていた。二足歩行の鬼、ショウケツジュだ。炎をくしゃみのように何度も放って現れた。が、その先には初穂、刀也、焔が必死に応戦している。彼らは戦いやすい場所へと誘導してきたのだろう。相馬と、梨桜も慌てて加勢に飛び出した。ところが、二人が応戦しようとした時、俊敏な居合いがショウケツジュの腕を鮮やかに持っていったのだ。宙高く腕が飛び、ショウケツジュはその場に倒れ、瞬時に事切れた。居合いを繰り出した人物が優雅に地に足つけた時、相馬と初穂は素っ頓狂な声を上げた。
「「桜花っ??!!」」
桜花と呼ばれた、彼女は黒い髪を一つに束ね、凛と佇んだまま二人を視界に入れる。凛々しい表情はみるみるうちに青ざめ始めた。まるで亡霊でも観ているかのように、今この場で起こっている事が全く信じられないといったような具合だ。
「は、初穂?!、相馬…??君たちは、、いや、鬼…いや物の怪の類か!!」
「違う!違うってば桜花!初穂よ!!相馬も、ほんものよ!!」
「本当に…?いや、そんな事がある筈が…、私の妹の名を答えろ」
「っもう!橘花!橘花よ!」
「では本当に、初穂なのか…」
初穂は、桜花に駆け寄り抱き合った。久しぶりだなと、姉の様に接する桜花とは随分親しいようだ。相馬も、桜花に手を差し出している。硬く握手をして、斯く斯く然々と経緯を話すと、桜花はひとまず里にと、五人を案内してくれた。
ウタカタの里――、初穂の生まれ故郷であり、オオマガドキの再来を二度も食い止めた腕利きのモノノフを有する里、である。梨桜は当時の話を何度も初穂から聞かされていただけに、転移した先がウタカタであった事に胸を撫で下ろしていた。
里に突然見知らぬ人間がぽっと現れれば、桜花の様に「鬼か、物の怪の類か」と驚くのも無理はないし、身の危機を感じ敵対しないとも限らない。好意的に受け入れて貰える状況が有ることは幸運でしかなかった。
里の門をくぐり、皆は本部に案内された。ウタカタの本部には、お役目どころと、資料室が設けてある。他里の施設を見ることなど滅多にない梨桜は、モノノフ隊員でひしめく活気ある本部を興味津々で見渡した。任務へ赴く緊張感も交じるが、隊員同士の信頼が如実に分かる。見送る者も見送られる者も、心ひとつにある温かさがあった。
相馬が梨桜の横に立ち、懐かしそうに見渡している。
「どうだ、梨桜。ウタカタの本部は」
「モノノフ隊員多いんだね…。すごい」
「例の一件以来、志願者が増えたらしくてな。霊山から訓練生が戻ったらしい」
「そうなんだ。その…初穂ちゃんが言ってた今世のムスヒって呼ばれてる人にも、会ってみたいけど、、」
「ざーんねんっ。あいつなら、今お頭と霊山に行ってるぜ」
ふいに声を掛けられ、振り返ると、金髪の長槍を持ったモノノフがにこりと笑っていた。小奇麗に装束を着こなし、あまりモノノフらしく見えない。彼とは対象的に、隣に立っているモノノフはいかにも、百戦錬磨のがたいの良い体つきで、厳しく梨桜と相馬を睨みつけている。大なり小なり数々の傷を武勲のように携えていた。目尻に皺を寄せると、がたいの良いモノノフは相馬の肩をばんばんと景気良く叩いた。
「なんだ、相馬!尻尾巻いて初穂とトンズラしてきたのかと思ったぜ!」
「富嶽、叩きすぎだ。戻ったのは不慮の事故だ」
「ああ、桜花からあらかた話は聞いてる。まあ、なんにせよゆっくりしていけ。ひっさしぶりにどうだ?」
富嶽と呼ばれた精悍なモノノフは、賽子を転がす素振りを見せ、にやりと笑みを浮かべている。どうやら相馬はウタカタでも丁半に興じていたらしい。いつの間にか、耳の早い焔が、話に混ざっていた。
「いいねえ!おっさん!俺も混ぜてくれよ!」
「だれがおっさんだ!」
それを見た紅月が、焔に向かってにっこりと笑った。人様の里で羽目をはずすなということだろう。しかし見知らぬ土地に飛ばされてきたというのに、焔も神無も紅月も妙におちついている。
「梨桜、ウタカタに来たのは、あなたの空間転移の影響によるものだと推察します。ただ、時間軸に関しては全く変わりありません。桜花殿に日付を確認しました」
「よかった…。何だかいつも以上に変な力が働いていたのかもしれません…。でも、任務でミタマは宿していないのに…」
「大丈夫ですよ。場所も分かって、同じ時なのです。戻れることには代わりありませんから、気負わずに」
「ありがとう、紅月」
「暫くウタカタの皆さんにお世話になりましょう。研究員の秋水殿も居ることですし、何か戻る良い案が見つかるかもしれません」
「紅月、宿は、以前百鬼隊が世話になっていた宿舎を借りれる事になった。ひとまずそこに引き上げよう」
「ありがとう、相馬」
宿舎に案内され、今後の事について桜花を交えて話し合いが設けられた。桜花の提案で、早急に巫女同士で念話を行う手はずとなり、皆の無事をマホロバへ知らせることになった。帰還に関しては、梨桜の転移が再びできればそれでよし、できない場合に備え、桜花たちが帰路の旅支度を整えてくれることになった。至れり尽くせりのもてなしと、協力に梨桜は何度も頭を下げた。
「そう、恐縮しないでくれ。これもお互い様だ」
「ありがとうございます」
桜花は夕餉の用意をさせよう、と言うと、さっそうと宿舎を後にした。彼女は凛々しく、気高い印象だ。初穂が慕うのもよく分かる。
宿舎の窓から外を眺めると、既に外は薄夕闇に染まっていた。ぽつぽつと里の外周に火が灯り始める。風に乗って煮炊きの匂いがふわりと漂い、気候が良いからか、食事処の店前には並べられた椅子と机に大勢のモノノフたちが早くも晩酌を始めていた。良い気分になり始めると手拍子と共に皆の歌が始まった。
その中には、先程の富嶽と、息吹も混じり酒を煽っている。そこを初穂が通りかかった。マホロバ陣の着替えなどを準備してくれたらしく、腕に風呂敷を抱えていた。富嶽と息吹は初穂に気づくと、手招きをして座れと促している。「飲んでないで、手伝ってよ!」と言う初穂に「後回しにしてまあ食え!」と富嶽が強引に彼女を座らせた。困りながらも初穂は勧められるがまま焼き鳥を頬張っている。次第に会話も弾み始めた。
マホロバへの道中、そしてマホロバでの出来事、少し初穂の活躍が大きく取り上げられるも、楽しげに話す初穂の故郷はここなのだなと、少しうらやましくも思えた。
帰る場所があることは、こんなにも落ち着けるのだと、そう思ってしまうと梨桜は何故だか古い自分の記憶を辿りたい衝動に駆られていた。実験体以前の自分、モノノフになったばかりの頃、父や母は、はたまた兄弟は居たのだろうか…。今まで考えもしなかった事が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
窓台に腕を乗せ、ぼんやりと初穂たちのやり取りを眺めていると、梨桜の傍らには、いつもの落ち着く気配を感じ取れた。相馬がぽんと梨桜の肩に手を乗せた。
「間違いなく初穂の故郷は、ウタカタだな。四十年たっても、それは変わらん」
「そうだね。初穂ちゃんは四十年をちゃんと乗り越えて、、」
「別に、お前がどうこうという訳じゃない。梨桜の故郷がマホロバだっていい事だ。或いは…、お前の存在を絶対に忘れない人間が居るという事は、忘れるなよ。万が一に、お前がまた記憶をなくしても、俺が忘れん」
告げられた言葉に驚いて、相馬に振り向けば、いつになく真剣な様子で梨桜は見つめられていた。射抜かれそうな視線に、顔が一気に熱くなる。途端に恥ずかしさがこみ上げ、思わず俯いた。
「ありがとう…。これからも隊長、頑張るね」
少し篭り気味になってしまった礼は、相馬が抱き寄せたせいだ。
これからは傍らで支えてくれる人も、いつまでも、自分を覚えていてくれる人がたくさんいる。その事に改めて精一杯隊長を努めよう、と心に決めたのだった。