目眩い

 目覚めた隼人は、体がだるかった。起き上がろうにも、頭痛が酷く、あちこちの関節が痛いし、背にはぞわっと悪寒も走る。確実に風邪をひいていた。

「やっべえ…。これ、絶対昨日の雪合戦だろ…」

 昨日はいつもの様に日勤の任務へ出ていた。任務地は、極寒の風邪吹き荒ぶ土地だった。小型の鬼が巣食っているとの報せで、討伐に向かったのだ。雑魚を狩るのにそれ程時間も食わず、負傷者も出ずに任務は無事終わった。それは良いのだが、問題はその後だ。この日、隼人と富嶽、そして相馬が組んで居たのがまずかったのだ。
 最後のマフウを伸した一番年長の相馬が、いきなり何を言い出すかと思えば「雪合戦をしよう!雪球に多く当たったドベの奴が、今晩の飲み代をおごりだ!」と言い出したのである。
 雪合戦など子どもじみた事を、と呆れ返っていた富嶽も、仕事終わりの飲み代が浮くとあっては、自慢の筋肉を使わぬ手はない。瞬発力を存分に発揮する時だと張り切ってしまったのだ。
 隼人といえば、富嶽や相馬のように、重い武具をひょいひょいと振り回すような、体力は持ち合わせていなかった。どちらかと言えば、戦略家であり、弓を得意とした遠距離攻撃でじわじわと鬼をいたぶるような力の使い方しか出来ない。そんなわけで、隼人の負けは始まる前から目に見えていたのである。富嶽と相馬はニヤリと既に勝ち誇るような笑みを浮かべ、問答無用で雪球を作り始めた。
「俺は、嫌だ!」という暇も無かった。結局逃げ惑うだけの隼人は、雪球を作ることも許されず二人に負け、ウタカタの里に帰還した後は居酒屋に強制連行された挙句、大酒飲みたちの代金を払わされたのだ。
 寒空の下、長時間ひたすら雪を食らい続ければ風邪も引く。富嶽と相馬に知れれば、また体力だの日頃の鍛錬だのと、諫言を貰いそうだが本人たちはただ、病に気づかないだけかもしれない。とは面と向かっては言えない。

「あいつら…マジで次は飯奢らせてやる…!」

 ともあれ、こんな調子ではろくに仕事もできはしなかった。
 隼人は、天狐を呼ぶと欠勤の旨を書いた紙を、首輪に括りつけ、本部の可愛らしい受付嬢、木綿の元へ届けるよう頼んだ。木綿はこのウタカタの里を仕切るお頭、大和の娘だ。彼女なら、今日の任務の割り振りを再考してくれるだろう。
 天狐のしっぽを見送り、隼人は再び眠りにつくことにした。それにしてもこの程度で風邪をひくとはやはり少しは情けないとも思う。桜花に知れれば雷が落ちるなと、身を震わせた。



 次に目が覚めた時、額の上に冷たい手ぬぐいが乗っていることに気が付いた。意識が段々とはっきりしてくると、心地良い室温と湿度、加えて人の気配がある。床から起き上がると、文机に向かっている那木が目に入った。
 那木はこのウタカタの里一と言ってもいいくらい腕の立つ医者であり、心優しいモノノフだ。隼人をはじめ、他のモノノフと共に民を守るため日々奮闘している。そしてもう一つ、付け加えるなら隼人の愛しい恋人だ。
 しかし、那木が何故自宅に居るのか隼人は不思議だった。今日から、行商人の護衛で遠征すると言っていたのだ。

「那木」

 隼人が声を掛けると、那木は肩を弾かせくるりと振り返り寝室まで入ってきた。気分はどうですか?と膝立ちになり、隼人の額、頬に手を当て、にこりと笑む。鎖骨あたりで揺れる栗色の髪からは、薬草の匂いが香り、更には那木の胸元が限りなく顔に近かった。彼女の着物は豊満なソレを押さえ付ける為だけにあるのではないかと思われる程、大変に立派だ。隼人は正直、目のやり場に困る。
 無理やり谷間から視線をそらした。

「今日遠征じゃなかったのかよ」
「木綿様から、隼人様が風邪を召されたと聞いたのです。お頭からも面倒をみてやれとの仰せです」
「悪いな」
「いいのですよ。これくらい。それに…」

 那木は長いまつげを伏せ、少し顔が赤らんでいた。那木の言わんとすることは何となく隼人には分かる。常にウタカタの里は人手不足だ。那木とこうして任務以外で二人きりになるのも、二週間ぶりくらいだった。いつも死と隣り合わせな仕事だからこそ、片時も離れたくは無いが、鬼の殲滅が隼人たちモノノフの使命だ。きっと大和は気を効かせてくれたのだろう。

「お頭に後で礼言っとかねえとな」

 那木は耳に髪をかけると、深く頷いた。

「隼人様、わたくしお粥を作りました。召し上がりませんか」

 那木はいそいそと、盆に湯気の上がる椀と匙を乗せ、寝室まで戻ってきた。白い粥の上には、三つ葉と梅干しが添えられている。そう腹も減っては居なかったが、目の前にすると食欲が湧くから不思議だ。

「おお、美味そ!頂きます」

 ふうと熱を冷まし一口ずつ味わっていると、那木がその場に居座ったまま隼人をじいっと見つめていた。何か言いたげで、しかしその言葉を言うに詰まっている様子だ。言い出そうとすると、はっと息を呑み、隼人が視線を返せば目をそらす。その一挙一動が小動物のようで愛おしく思うのは、情からだろうか。なるほどと、悟った隼人は椀を那木に差し出した。

「那木、ほれ」

 那木は、良いのですか。となかなかどうして少女のように照れている。患者の看病には慣れて居るはずなのに、隼人の前ではいつもこうだ。変に意識をしているからか、やることなす事どうも、はしたないと思い込んでいる節があった。
 粥を掬い那木はふうと、息を吹きかけると、匙を隼人の口元に持っていった。あんぐり口を開ける隼人も満更でもない。そうして親鳥雛鳥のように餌付けされた隼人は、全て平らげ「ごっそさん!」と手を合わすと那木は盆を持ち立ち上がった。
 その時だった。裾を踏んだのか、那木はよろけて隼人の上に倒れたのだ。隼人の頭は、見事に盆の的となった。

「い、いてえ…」
「あぁっ!!隼人さま!申し訳ございません!わたくしとしたことが病人に何てことを…!」

 隼人の上で、那木があたふたと謝っている。が、隼人は限界だった。本日二度目。その立派過ぎる胸が今度は己の体に不用意に押し付けられているのだ。ふにっとした柔らかい感触は、那木がごめんなさいと謝る度に弾みをつけ、胸板にあたっている。我慢できる男が居るなら是非ともお教え頂きたいものだ。
 隼人は、慌てる那木を抱きすくめた。先程よりも熱が上がっている気がした。主に下半身の…。

「那木、そんな暴れんなよ。俺病人だから。ちょっと落ち着けって」
「隼人様…、あの…」

 隼人は、那木を起き上がらせ己が正面に座らせると、その腰を引いた。那木も馬鹿ではない。これから自分の身に何が起こるかくらいわかっただろう。隼人は、騒ぐ那木の唇を塞いだ。

「煩えよ、那木。本当は期待、してたんじゃねえの?」
「そ、そんなことありませんっ…!」

 隼人は抵抗する那木を押し倒すと、更に深く口付けを求めた。胸をまさぐり、着物の裾をめくって太ももに手を這わすと、とうとう観念したのか、その気になってきたのか、那木は随分大人しくなった。覗き込めば、ぷうと頬をふくらませている。本人は、憤慨しているのだろうが凡そ間違っていた。

「なに、そんな膨れっ面してんだよ。もっと進めて欲しいって?」
「お体を心配しているのです。隼人様、こんなことしたら熱が上がってしまいますよ」

 医者としての忠告らしいそれを、隼人は恋人の忠告として受け取った。

「ばーか。熱なんか、とっくにあがってんだよ…」

 複雑そうに笑う那木はとうとう根負けし、隼人の首に腕を回した。
 その日、真夜中を過ぎても情交を繰り返し、汗を拭わぬまま眠りについた隼人が、翌日酷い頭痛に苛まれ討伐任務に挑んだのは言うまでもない。