誘惑の欠片

 南北から鬼の挟撃を受け、近衛、サムライが総出で里の防衛に当たったのが二日前。
 鬼の増加を懸念した紅月と博士は、大型鬼の一斉掃討を皆に提案した。つい最近、八雲も刀也もオヌホウコやアマツミツツカによって仲間の命を奪われた事もあり、二人はそれぞれに打開策を模索していたらしい。紅月と博士の提案を快諾の後、各部隊は里に直結する監視小屋や大隧道周辺の巡回の強化に踏み出した。ご多分に漏れずカラクリ部隊も加わる事となった。
 千聖は本日巡回当番を言い渡された。担当領域は、カラクリ平野から遺跡周辺である。異界入り口に監視小屋があるとはいえ、マホロバ丘陵地に鬼の侵入を完全に防ぐことはできないのが現状だ。爪を研ぎ茂みに身を潜める鬼も少なくはない。故に先手を取る必要がある。
 監視小屋に招集を掛けられたのは、神無、紅月、時継、千聖だった。四人揃うと、門をいの一番に潜ったのは神無だ。先頭を切るサムライに、単独行動をするなと声を上げつつ時継が追いかける。その後を紅月、千聖が続いた。
 古道を抜け平野へ出ると疎らに闊歩していた小型鬼が一斉に四散し、遺跡付近からは空気が震えるほどの咆哮が辺り一帯に雷鳴のごとく響き渡った。異界に出て早々、大型種のお目見えである。鳴動した方角を確認し、神無が先陣を切って走る。千聖は紅月と顔を見合わせ、互いの健闘を祈る様に頷いた。
 対象の鬼が視界に入るが、鬼はカガチメだった。大蛇の二足を持ち、カタツムリの様な大きな殻を背負っている。風と雷を操り、人を惑わす呪いを使うこともある。近づきすぎると毒にあたることもあって特殊な鬼だ。
 カガチメは般若面の様に恐ろしい形相で、抜刀した神無を威嚇し、ずいと顔を寄せると鋭い爪で引き裂こうと腕を振り上げていた。身軽な神無は踏み込んだ足を軸に体を反転させ、瞬時に鬼の攻撃を交わし、隙きを見て脇から飛びかかる。その身のこなしに「あんにゃろう、やるな」と時継が援護を始めた。千聖もカガチメが毒を撒き散らす直前、間合いに入り、右腕目掛け叩きつけるように太刀を振り下ろした。見事、腕は切断されカガチメは苦悶に耐えかね後方に退いた。神無は畳み掛けるように攻め立てた。止水、虎穴と繰り出される技に、鞘から抜いた白銀には、鬼の生気がみるみるうちに吸い取られる様だった。神無の立ち回りは、鬼討つ鬼として凄まじい腕の剣客として映るも、しかしどこかいつもと様子が違う様に映る。鬼神のような荒ぶる戦い方に、塵芥、風塵以下になるまで切り刻まんとする勢いだ。ピタリとカガチメの動きが止まり、虹彩の光が失われた。納刀した千聖は、神無に駆け寄った。

「お疲れ様、無理してない…?」
「このくらい、俺一人で十分だった。なんて事はない。お前こそ毒に突っ込んで何考えてる」

 そっけなく言い放った神無に、間髪入れず紅月が言った。

「神無。あなたの活躍あってこそ、皆状況を見極め自分の仕事ができました。ありがとうございます。さあ、もう暫く周辺を見てから帰りましょう」
「っけ、相変わらず一人狼な奴だな!なあ!千聖?」
「実際紅月の言う通りだったよ。神無が先陣切ってくれたから…、ね、神無」

 千聖が礼を言おうと神無の方を振り返ると、神無はまた独り先に平野を行き、皆と離れるように進んでいた。

 任務を終えた千聖は討伐履歴を確認すべく、本部屋根裏の書庫へやってきた。遭遇した鬼の種類や数、実際の作戦を把握することもまた仲間を守る術である。
 受付の職員に一言断って、はしごを軋ませ、少しかびた空気を吸い込み床から頭を覗かせた。奥の棚には古い報告書、手前に新しいものが並んでいる。地域ごとに整理された棚に目を凝らし、比較的形崩れのない一冊を引き抜くと、腰をおろして表紙をめくった。日付、討伐隊員の名前、当時の状況を読み進めると、過去にも決して他人事ではない事象が列挙されている。ゆくゆくは千聖にも起こりうるかも知れない事柄を頭に叩き込みつつ、古道や遺跡付近の大型種を再確認した。やはりあの辺りはカゼキリ、ミフチの出没が目立つようだ。先刻、一番に遭遇したカガチメもあの辺りによく出没するらしい。
 報告書には、鬼に遭遇時の状況が事細かに記載されているのは勿論だが、討伐後の鬼の利用の記録もある。中でも、鬼の亡骸から得た材料の用途は重要事項だった。
 鬼が昼夜問わず跋扈する中、圧倒的な力を前にしては、輸送経路の寸断による流通の鈍化は人々の生活に直接影響をもたらしたが為に、人々は鬼そのものを活用する他なかったのである。知恵を絞った結果、今では鬼の亡骸から多くの日用品や武具、また食品への加工も行われているのだ。例えば、ヌエの虎皮を利用して太刀の柄を作ったり、ノヅチの肉は食用にできないかと試行錯誤の末、今では小料理屋の品書きに当たり前のように並んでいる。報告書にはそういった、鬼の素材の用途が丁寧に記されているのである。

 読み進めていた千聖は、カガチメの項目に差し掛かった。特徴や素材の利用に目を通していると、とある箇所で視線が止まった。

「風雷大呪爪(ふうらいだいじゅそう)…?風雷を操り、呪いの力を秘める…、また、別所では、風雷極呪爪(ふうらいごくじゅそう)なるものも確認されている。呪いの力は大呪爪より強力で、感覚を麻痺させ、夢見心地のまま死に至らしめる…」

 書かれた文を読み、千聖は恐ろしく思いながらも、「夢見心地のまま死に至らしめる」という文言が殊更浮かび上がって見えた。例えば、鬼との戦闘で万が一にも死に至るような深手を負っても、激しい苦痛にのたうち回ること無く、更には鬼に夢まで見せられて死んでいくという事だ。瑞夢か悪夢かは定かではないが…いずれにせよ、過酷な死に際に遭遇するよりは遥かにましな様に思え、風雷大呪爪の現物を見てみたいと僅かに心が揺れた。だが、少しでも鬼に心を許せば己が己でなくなってしまう。特に人の弱い心に漬け込み惑わすのが、ミズチメやカガチメの常套手段だ。千聖は邪念を振り払い、討伐の確認を終えるとはしごを下りた。
 外はすっかり薄夕闇に染まり、空にはねぐらへ帰る烏が歪な隊列で横切った。路地に灯る僅かな明かりを辿って、家の戸を引いた。後ろ手に閉めると途端に疲れが押し寄せていた。
 日頃は、鬼の呪いや力に魅せられることなど無い。それなのに、こんな風に気弱な考えに至るのは、いつぞやの神無の一言に加え、今日の神無の言動が千聖の思っていた以上に、心に引っかかっているのだと悟った。

―― お前はいいな、千聖。記憶喪失なら痛みはない。いっそ楽でいい。

 あの言葉を聞いた時、千聖は神無の瞳に深い憎しみが見え、また攻撃的な神無に動揺した。
 記憶を取り戻したいと思っていた千聖は、蓄積された過去そのものが人を苦しめるのだと言う事に、神無に言われるまで気が付かなかった。無いことに苦しむ自分、有ることに苦しむ神無。過去を手繰り寄せ、向き合いたかった千聖は、幾度も背中を預け戦った神無も己と同じ気概でもって任務に臨んでいると思っていたのだ。だが、最強を求めて日々鍛錬を積むことも、鬼の手を受け取ってくれたことも、鬼内を憎む彼自身の辛い過去を切り離したかったのだとしたら…。そう考えると、今日のカガチメに対し、いつも以上に討伐に集中していた事も分かる。
 姉を大切にし、仲間思いで心優しい一面もある神無と、千聖はこれまで幾つもの危機に直面し、共に闘い、互いの太刀筋や呼吸も分かる程に信頼を築いてきたのだと思っていた。だが、過日の一言がどうも気になってしょうがない。あの場は焔やグウェン、椿が収めてくれ、神無も詫びてはくれた。だが以来、互いの接し方は今日の様に、妙にぎこちなく感じる。
 千聖は囲炉裏の側にごろりと横になった。

「なんでこんなに考えてるんだろう…。これが記憶ができるってこと、なのかな…」

 疲れを取るどころか、益々不安に苛まれ、仮眠を取るつもりだったが何時間も目が冴えたままだった。辺りはすっかり夜の帳が下り、星が瞬いている。周りの店も閉まり、明かりの消えている家もあったが、千聖は再び外へ出た。
 夕刻に登ったはしごをよじ登り、同じように手前の棚から討伐記録を一冊引き抜いた。目的の項を見開き、カガチメから取れるという、その摩訶不思議な爪がどうしても気になってしょうがない。報告書を閉じた千聖は、はしごに手を掛けた。みしりと軋み一段降りると、途端に下から「誰だ」と声が響いた。はしごを見上げるのは神無だった。こんな夜分に本部で何をしているのだろうか。別段悪い事をしていた訳でもないのに、何故か千聖は慌てていた。怪訝そうに目を細め、見上げる神無がはしごを登ってくる。

「こんな時分に、こんな所で何してる」

 登りきった神無は、千聖を目の前にあぐらをかいた。棚の前に放りっぱなしの冊子を一瞥すると手を伸ばした。眉を片方上げ、千聖に問いただした。

「随分、熱心なことだな」
「う、うん。色々勉強しないと…、なと思って」
「嘘だな。お前は嘘をつくと目が泳ぐ」
「そんなことない!」
「じゃあ、どの項の何を見ていたか、正直に答えろ」

 詰め寄られた千聖は、向かいから神無の見開く頁を一枚、二枚とめくり、先程眺めていた箇所を指差した。神無はため息をつきつつ、おもむろに千聖の頬をぎゅっと摘んだ。

「目を覚ませ。モノノフだろう。何を考えてる」
「ち、違うの…。少し考え事してたら眠れなくて、それで――」
「それで、夢見心地になりたいとでも思ったわけか」

 神無は今一度、風雷大呪爪の項目を流し読みすると、ぱたりと冊子を閉じ、本の背で千聖の頭を小突いた。

「カガチメの毒にでも当てられたか。それでもモノノフか。お前が何を考えてるのかは知らんが、目前のことから逃げるなと、お前は身をもっていつも教えてくれている」
「神無…」

 頬をかいた神無は、少し目尻を下げると「千聖が何を考えていたのか、それは深くは問わない」と呟いた。あぐらの上で両手を組むとうつむき加減で続けた。

「俺は鬼内は憎いさ。隷属させられていた頃の夢を今でも見る。だが、憎むべき相手は後にも先にも鬼だけだ。オオマガドキが原因ならな」
「今日の任務…少し、その。神無…」
「いつも以上に気が立っていただけだ。千聖との任務は余計に、だ」
「私、そんなにヘマやらかしそう?」

 的はずれな返答に、神無は少し苛立ちながらも僅かに安堵を見せた。

「違う、そういう事じゃない、今はそれはいい。だが、今晩の事は厳重注意、いや、本来なら謹慎処分ものだ。朝一で博士の所へ行け。お前がモノノフの道に外れるような事をするとも思えん。昼間のカガチメに何かされてるんだろう。紅月への報告にも俺が付き合ってやる」

 事の重大さに千聖は情けなくなった。たった少しの気の迷いは、モノノフとしての倫理を犯そうとし、あまつさえ自分自身をも危険に晒そうとしていたのだ。

「…本当私、馬鹿な事考えて…、本当にごめんなさい」

 神無はぽんと千聖の肩を叩き、階下に降りるよう諭した。

「家まで送ろう」

 しんと静まり返った帰路には千聖が鼻をすする音がやけに響いた。隣で歩く神無は煩いぞと言って、無造作に頭を揺さぶる。自宅に着き、千聖が家に入るまで戸口で待ってくれた神無は、さり際、お前の過去はこれからも俺が作ってやる。と呟き踵を返した。
 呆気に取られた千聖は、情けなさと安堵が入り混じった感情を抱え、ただただぽかんとサムライの背中を見送ることしかできなかった。