これからもよろしく

 「隊長、あんた年末年始は何すんだ?」と聞かれたのは、師走も終わろうとしていた夜の見回りの後だった。
 本部に到着し背負っていた槍を立てかけると、受付の台に体を預けた息吹は木綿ににこりと笑みを浮かべ「木綿ちゃんは?どうすんだ?」と尋ねている。木綿は大和と家で過ごすらしい。年始は露天商が軒を連ねるので市にも出かける予定だと言った。
 以前と比べると、今は比較的穏やかな毎日を過ごすことができている。里への鬼の襲来はせいぜいガキやヌエくらいで、あんなにひしめいていた大型鬼は一体どこへ消えてしまったのだろうと思えるほど異界は落ち着いている。そんな訳でここ三年間のウタカタは年末年始賑わっている。富嶽は「あいつらも仕事納めだろ」などと冗談を言っているが、正直ずっと続けばいいのにと名前は願っている。
 木綿の返答に「親子水入らずってのはいいねえ」と満足気に返した息吹は「一人もんってのは、日常も行事もそう変わんねえもんなー。な、隊長!」と名前に振った。ぽんと肩に乗せられた彼の手は仲間を求めているのだ。

「…正直否定はできないけど、息吹はきれいなお姉さんを毎年捕まえてるのかと思ってた」
「そりゃ心外だぜ。毎年ってわけじゃあない」
「完全な否定はしないのね」
「つれないなあ、名前ちゃん。どうせあんたも暇なんだろ?大晦日元旦くらい寂しいもん同士一緒に美味い酒でも酌み交わそうぜ。俺んち来いよ、な?」
「勝手に寂しい認定すんなあ!」

 すると頬を膨らませた名前に、息吹は目を細め思惑あり気な表情を向けた。

「へえ。これを見ても俺の誘いを断れるかな…、名前隊長っ」

 息吹は懐から一冊の小冊子を掲げ、名前の鼻先で左右に振った。それは、この中つ国の全図である。霊山を中心に各里の所在や現在のお頭、その他地形や地理的情報などの概略が記載されたものだった。この冊子は、霊山の近衛や高級官僚しかなかなかお目にかかることはできない代物である。おいそれと賊などの手に渡ってしまえば、様々な危険が及ぶからだ。こんな貴重な本を一体息吹はどこで手に入れたのか──
 東(あずま)の国よりウタカタへ来て早三年強も過ぎようとしているが、名前は中つ国全体の事をまだ詳しくは知り得ていない。那木から講義も受けるが常々、こういう本が身近にあればいいのにと思っていたし、大和にもあれば欲しいと頼んだことがある。その時は手に入れるのは些か難しいと言っていたはずなのだが…。喉から手が出るほど欲しかったそれを今目の前で息吹は手にしている。名前はごくりと唾を飲み込んで本を凝視した。

「息吹…それ…」
「ああ、これはこの間御所会議に付いていった時、とある筋から一冊譲り受けたんだ」
「一日でも良いので貸してほしいです…」

 ふふん、と得意げな息吹は手を伸ばしかけた名前をさっと躱した。

「俺も今から読む所なんだ。読みたいなら年越しは俺の家に来るように」
「うう…卑怯ものっ!」
「何とでも言えばいいさ。で、俺のさっきの質問に応えてくれないのか。俺んち来るの?来ないの?」

 上から見下された名前は、不本意ながらも「行く」と呟いた。

 息吹の家は、里の飲食店の立ち並ぶ通りに近い場所にあり、一人暮らしな割に立派な一軒家に住んでいた。家の周りは腰ほどの竹の垣根に囲われている。少し軋む木の門扉を押し開き、手土産をいくらか持参した名前は玄関の戸を叩いた。中からは足音が近づきすぐさま玄関がガラリと開かれ息吹が顔を出した。

「よ、待ってたぜ」
「こんにちわ。お邪魔します」

 息吹は、名前の手にする荷物に目を見開いていた。

「なあ、隊長。心なしか荷物多くないか?」
「え、だって年越すんなら着替えも必要かなと思って、、これ着替えと…。あと、ささやかなおせち」
「何だって??」

 更に驚いた様子で息吹は手荷物を二度見する。まるで、名前がまったく料理ができないであろう前提を持っていたらしい。だがすぐ笑みを浮かべ、名前の手荷物を代わって持つと中に招いた。

「ごめんごめん、まあ入って。しっかし名前ちゃんも意外とやるなー」
「いつかの心外をそっくりそのままお返しするわ」
「そりゃどうも」

 案内された部屋はすでに囲炉裏と火鉢の火が煌々としていて暖かかった。自在鉤に下がった鉄瓶からは湯気が上がり、土間の方からは出汁の良い匂いが漂っている。荷を適当な場所に置いた息吹は、いそいそと土間に降りるとかまどから鍋を取り上げて鉄瓶と取り替えた。木蓋を開けば、中は出汁の中に白菜やネギを始め色とりどり具だくさんに煮込まれている。

「わー…、すごい美味しそう、とてもいい匂い」
「今日は俺様特性、鴨鍋だ。さ、たんと食ってくれ」

 息吹は戸棚から一升瓶を取り徳利を何本か作ると猪口を二つ囲炉裏の縁に置いた。酒の肴には鍋の他に焼き魚と肉味噌が出てくる。これは酒が進みそうだと返せば、部屋は余っているから遠慮せずいくらでも飲めと言った。
 酒が入りほろ酔い気分になると徐々に話も弾んでくる。今年のウタカタの振り返りは穏やか。二人共それに尽きた。
 名前は少し頬に赤みが指した息吹に何度目かの徳利を傾けた。

「あんたも隊長になってもう三年経ったんだなあ…。なんだか感慨深いというか、年取るのは早いっつーか」
「ちょっと、何だかおじさん臭いよ!」
「ああ、悪い。そりゃ八年ああ、いやオオマガドキから十一年なんてすぐ経っちまうよなって思ってさ」

 並々と注がれた酒を覗き込むようにして息吹は呟くと、物憂げな表情を浮かべ台所を見遣った。名前はそこでようやくはっとした。独り者の息吹が何故立派な一軒家に暮らしているのか、部屋も余っているのか。亡き恋人との大切な場所なのだ。
 名前はうかがいながらも尋ねた。

「私来てよかったの?」
「べつに、気にするもんでもないだろう。俺らの隊長なんだ。それに、ほらこれ。約束の」

 息吹は壁際に積み上げられた一番上の本を手にとって名前に差し出した。

「ありがとう。これ本当見てみたかったんだ。隊長なのに無知すぎて。ちゃんと勉強しなきゃなって」
「あんたのそういう所本当、真面目だな。適当に過ごしてれば周りの里の状況なんていずれ覚えるのに」
「いや、ほら。また窮地に陥りそうだったら、シラヌイみたいに協力要請してくれそうな里と今から友好関係結んでおいたほうが良いかなと思って。他里のお頭が、皆凛音さんみたいな人とは限らないし」

 息吹はどこか思い詰めるようにして名前へ真剣な眼差しを向けた後、ひといきに酒を煽った。

「名前ちゃんがもう少し早くウタカタに来てくれていたら、と思うことがあるよ」

 息吹は無意識だったのだろう。かろうじて聞こえてしまった言葉に、名前はどう返答すれば良いのかわからなかった。この家に詰まった思い出は息吹にとってはかけがえの無いものだからこそ此処を離れられない。息吹の言葉には、彼女を救いたかった悔やむ気持ちが未だ拭われていのは確かだ。だとしても、名前はそれはそれでいいと思っていた。無理に割り切る必要も無いし、息吹のように故人を偲び思い出してくれる人がいるのは、きっと今頃あの世のカナデにも届いていると思う。名前がふいに黙ったことに、息吹は「ああ!勘違いするなよ」と明るい声で否定した。

「一人寝が寂しい時、俺の抱きまくらにしたかったってだけだ」
「いいよ、別に無理しなくても。いつでも思い出して良いんだし。きっとカナデさんも嬉しいと思う」
「俺らの隊長はどんだけお人好しなんだよ本当」

 すると息吹は徳利を持ち、軽く掲げた。

「これからも、俺たちの隊長で居てくれよな。頼りにしてる」
「こちらこそよろしく」

 今一度乾杯をして、二人は明け方まで語らい飲み明かした。