いつかのなりたい
陽菜は、ウタカタの里にある御役目所で、里のお頭、大和の娘木綿と共に受付嬢として本部で働いている。日々の業務といえば、もっぱら里に出入りするモノノフたちの出陣・帰還の管理だが、他にも施設内の備品、矢や弾薬など装備品の補完だったり、鬼ノ府総本部である霊山や他里との連絡、鬼の情報交換が主な仕事だ。受付嬢とはいうものの、常にウタカタは人手が足らないので、こうして総務のような仕事も兼任している。
今では、当たり前のようにウタカタで暮らす陽菜だが、元々彼女はこの里の人間ではなかった。陽菜はシラヌイの里の生まれであり、行商人の娘だったのだ。
ウタカタへやって来たのは三年前の冬。丁度、この里へ行商に向かう道中、運悪く大型鬼に遭遇してしまい、陽菜の父は娘を庇い重症を負ってしまった。その時、鬼の出現をいち早く聞きつけ、駆けつけてくれたのが、速鳥を始めとしたウタカタのモノノフたちだった。
だが速鳥たちが現場に到着した時には、時既に遅し。鬼は蹴散らしたものの、陽菜の父親は出血過多で間もなく息を引き取り、陽菜だけが残された。不憫に思った大和は、木綿と一つ違いの陽菜に、こうして居場所を与えてくれたのである。
里の入出名簿に日付を書き、陽菜は、丁度今日がウタカタにやって来た日だったことを思い出していた。あれから三年。時が経つのは早いと感じた。何せ、このウタカタで、受付の仕事を始めてからは目まぐるしく一日一日が過ぎていく。きっとそれは、毎日が楽しいからだろう。この里の人々はいつも朗らかで、心優しい人ばかりだ。陽菜の立ち直れたのも、里の人々のお陰だ。
特に、陽菜が里に来たばかりの頃は、モノノフたちが日に何度も陽菜の様子を見に来てくれ、日常生活に手をかしてくれた。頻度的に言えば一番側に居てくれたのは忍の速鳥だったように思う。恐らく、大和の気遣いでモノノフたちは訪ねるように頼まれたのかもしれないが、ともあれ気づけば、側に居る…、という経験は忍である速鳥ならではだった。今思い起こせば、数々の神出鬼没的な速鳥との邂逅は、始めこそびくりと肩を震わせ驚いたが、次第に今日はどのような場所から、どんなふうに会えるのだろうかと待ちわびるようになっていた。かくれんぼとも鬼ごっことも違うが、会いにきてくれることが楽しみだった。実はそれは今も、以前とは少し違った形で続いている。もっと言えば、それは陽菜の最近の気がかりだった。
棚を雑巾で拭いている木綿に「木綿ちゃん、実は相談があるの」と陽菜は打ち明けた。すると木綿は雑巾を握りしめ、タタタッと受付までやってくると身を乗り出した。ずいと顔が近い。
「どうしたんですか、陽菜さんっ…!お悩みですか?」
「うん、ちょっと気がかりなことが、あってね。最近、仕事終わって家に帰ると毎晩速鳥さんと家の近くで会うの。それで、挨拶だけしてすぐ居なくなっちゃうの。何だかちょっと素っ気ないっていうか」
「毎晩…ですか?何か約束しているとかでもなく?たまたまって事はないですか?」
「ううん、約束なんてしてない。それに速鳥さんの家ってうちとは逆だったよね…えと、たしか…」
「本部の裏手の長屋に住んでますよ」
「そうそう、長屋だ。だから、仕事終えて里に帰還して、私の家の近くに来ることって、余程の用事でも無い限りないと思うし…尚更不思議で」
私なにか悪いことでもしたかな…。尻すぼみになり肩を落とすと、目の前の木綿の頬が若干赤くなっていた。何かに驚いたか気づいたか、はっとした様子だ。
「陽菜さん!私、分かりました!分かっちゃいましたっ!ここはその道の百戦錬磨、息吹さんに話を聞いてもらいましょう!」
陽菜は木綿が何に気が付いたのか全く理解できなかったが、その日の仕事を終えた二人は早速息吹の元を訪れることにした。聞けばは息吹は、里の料理屋で富嶽と晩酌中のようだ。目的の店に着き、暖簾をくぐると息吹は見つかった。
木綿は陽菜の手を握り、ずんずんと店内を歩いて行く、何事かと周りの客の視線を一手に引き受ける形となり、陽菜は羞恥が込み上げるも、力になってくれる木綿に大人しく従った。
突然現れた木綿と陽菜に、息吹と富嶽は当然驚いていた。
「息吹さん!陽菜さんのお悩みを聞いて下さい!」
木綿が事の経緯を話し終えると、息吹はふむふむと顎に手を添え唸り、陽菜の両肩をがっしりと掴んだ。かと思えば「いいかい、陽菜ちゃん」と人差し指を立てて言った。
「これは、大事件だ」
「だ、大事件…、どのへんがでしょうか!やっぱり私…何か速鳥さんに思わぬ所で何か…」
「そう、思わぬ所で、君は速鳥から盗みを働いた」
その台詞を聞いていた富嶽は、はぁ。と深い溜息をつくと半ば呆れ顔で「勝手にやってろ」と酒をぐいと煽った。
当然、身に覚えのない冤罪を突きつけられた陽菜は、たじろいだ。
「息吹さん、ひどすぎます…。私…泥棒なんてしません…!」
「違う、違う、物を盗ったんじゃない。陽菜ちゃんが奪ったもの、それは、速鳥の心さ」
「こ、ころ?!」
「そう!!あの寡黙で、真面目一辺倒な速鳥が、何故陽菜ちゃんの家に毎晩出向いてると思う?」
「用事?」
「じゃ、なくて!それは一つしか無いだろう?君に会いに行っているのさ!」
── 君に会いに行っているのさ
その言葉だけが、陽菜の中で何度も繰り返されていた。会いに来ている。速鳥が、陽菜に好意を寄せて?考えただけでも気恥ずかしくなったが、同時に、そうと分かれば相手が益々気になってしまうというのがまた人だ。
陽菜は、これまでの速鳥とのやりとりを思い出した。陽菜が毎晩の挨拶をかわせば、何となく目を反らしながら答えたり、自宅前で、陽菜と会う時だけは少々落ち着きのない感じも…あるように思った。息吹が言うように、もしかすると、もしかするのかもしれない…そう考え始めると、頭の中は瞬時に速鳥でいっぱいになった。
「い、い、い息吹さんっ!私どうすればいいのでしょうか!男の人を…その思いを寄せられるってよく分かりません…!」
「大丈夫!自然体で、今度は陽菜ちゃんが速鳥の気持ちに答えられるよう、好きになればいいんだ。あいつ、悪いやつじゃないだろ?陽菜ちゃん自身がもとから大嫌いなら、俺も無理には言わないけどさ。いつも独りのあいつが、ようやく恋人作る兆し見せたんだ」
陽菜は顔から火が出そうだった。これまで、速鳥が毎晩顔を見せていたのは、陽菜に好意を寄せていたから ── 。陽菜は、思いが募っていた。確かに、里に来たばかりの頃、陽菜を一番に訪ねてきてくれたのは速鳥だ。二人の間にあまり会話は無くとも、妙な安心感はあった。
息吹はまるで慈母のような表情を浮かべていた。
「陽菜ちゃん。俺は、応援する」
それからも、毎晩毎晩陽菜は速鳥を自宅付近で見かけ、その度に勇気を出し、毎日言葉をかわすようになった。
二人きりの夜、淡い月明かりに照らされ、寒々とした空気の中に佇んでも微塵も苦ではなかった。受付で、出陣時や帰還時の時よりも、速鳥は陽菜に饒舌だった。
最近は、偵察からの帰還が早い速鳥が、陽菜の帰りを待つ。そんな逢瀬を重ねていた。今も、閉店した近所の団子屋の腰掛けを少し借り、速鳥と陽菜は並んで座っている。速鳥は、その佇まいから少々細身に見受けられるが、隣にいれば鍛えられた武人のような体つきだった。眺めていると段々とその腕にいつか陽菜は収まってしまうのだろうか…などと、少々不埒な思案に駆られてしまう。
「どうした?陽菜殿」
突然降った声に、陽菜は慌てた。
「いいえ!何でもありません!速鳥さんはとても、その、逞しいな…と思って」
「このくらい、鍛錬を積めばなんということはない」
すると、速鳥は、陽菜を正面に見据えたかと思うと、突然陽菜の両手をぎゅっと握りしめた。熱っぽい視線は真っ直ぐに陽菜を捉え、今にも、何か一大決心を口にしそうな様子だ。
速鳥は、自分の顔を半分に覆う口布をおもむろに下げた。陽菜との距離が段々と狭まっていく。陽菜も、告げられるであろう言葉を想像し、胸を高鳴らせ覚悟を決めていた。速鳥の唇がゆっくりと動いた。
「陽菜殿、貴殿は…」
「は、はい…」
「触れさせては、貰えないだろうか…」
「あ、あの…私、まだ、心の準備が」
陽菜は、恥ずかしさの余り顔を逸らしたが、速鳥は覗き込むように視線を追った。
「貴殿は、天狐を飼っていると聞いているのだが…」
「え、ええと、はい。うちには一匹、天狐がおりますが…。天狐?」
「そう、天狐を、是非…触らせて、欲しい…」
── 自分は、天狐が、その。いたく可愛いと思っていて、天狐を、天狐を、天狐を…
空に瞬く星が盛大に宙へ砕け散る音が、陽菜の耳こだましていた。速鳥が、このところ陽菜の自宅へ通っていたのは、よもや天狐に遭遇しはしないだろうかと、その一心からであったらしい。
陽菜は記憶をたどってみた。天狐を飼い始めた時期と、陽菜が速鳥と自宅付近で遭遇し始めた時期は、凡そ同じ頃である。
ともあれ、陽菜は何故かがっかりとはしなかった。膨らんでいた気持ちも、今だ保ったまま、壊れること無く続いていけることの確信を得られた。それが一番にあるからかもしれない。
陽菜は、真っ直ぐに速鳥を見つめ返した。
「今から、家来ますか?まだ天狐起きてると思いますよ」
その時の速鳥の、今までに見たこともない嬉しそうな顔を見た時、陽菜はより一層側にいたいと思えた。
後日、息吹が桜花より「そそっかしいんだ!」と説教をされていた理由を知るのは、木綿と富嶽だけであった。