君のこと

 二度もウタカタの里を守ったモノノフたちは、少なからず里の人の憧れになり、どこに居ても目を引くようになる。
 例えば、普通に買い物をしていても「あ、ホロウさんだ。千歳さんも相変わらず可愛らしいなあ…」とか「ねえ!息吹さん今こっち見た?!私に手を振ってくれたわ!」などと、里の中で彼らを見かければまるで舞台役者のような扱いだった。英雄になればどこに居ても声を掛けられるし、よく目立つ、そんなものらしい。黄色い声が上がったり、ちやほやされたりするのも今のうちだから存分に堪能しておけとは相馬譚である。ご多分に漏れず、ウタカタの隊長弥生も彼らと似たようなものだった。
 里を窮地から救った隊長宅には近頃毎日のように霊山新聞社の美麻と美柚がやってくる。
 以前「ムスヒの君、隊長の私生活」というお題目で取材を受け、その新聞は一週間ほど前に発刊された。ところが弥生の記事が掲載された日は売れに売れたので、更に取材をさせて欲しいと姉妹に頼まれたのだ。
 仕事に忙しく、代わり映えのしない独身者の私生活に興味のある層が一定数居ることにも驚きだったが、いざ売れ行き好調と聞けばどこか気恥ずかしい。二度目の取材は遠慮したいと一度は断ったが、そこを何とか…!と懇願され弥生は折れた。帰宅したら可愛い天狐の天吉と一時間ほど戯れて終わり。それが、ここ最近の弥生の私生活だ。

 今日も今日とて尋ねて来た美麻美柚を部屋に通すと早速くつろぎ始めた。弥生の仕事が終わる頃を見計らって、毎日姉妹は来るので一緒に夕食を取ることもしばしばだ。取材は二の次になっている。

「美麻ちゃん、美柚ちゃん。私本当に特別なことはないよ。お頭のほうが色々取材し甲斐があると思うんだけど…。お頭の一日とか凄く濃いと思う」
「まったまたー!何気ない日常に、想像を膨らませる読者も多いっすから」
「そうそう。あなたのこと妄想する人も多い…」

 誤解を招きそうな言葉に、なんだそれは、と苦笑いをして、弥生は二人にお茶を出した。
 流通も活発になり西国からの物資も今は日常的に手に入る。姉妹はかすていらが好物だ。出された黄色い矩形に目をきらきらとさせて、楊枝を刺す。随分と幸せそうに頬張れば、自然と笑みがこぼれた。霊山からはるばるウタカタまでやってきた二人は、よろず屋で奉公しながら熱心に異界との最前線で記事を書いている。里が窮地に陥ったときも真っ先に逃げられたはずなのに姉妹は霊山に戻らなかった。今事実を記録したいと残った。そんな直向きな二人を見ているだけに、頼まれれば断れないのだ。

「で、今日はどんな取材内容?」
「それはっすねー」

 美麻が得意げに帽子を整えたとき、玄関に人影が写った。かと思えば「隊長」と勝手知ったる様子で戸が開かれる。現れたのは速鳥だった。振り向き、訪れた人間が誰だか分かると美麻はにやりと笑みを浮かべていた。

「この事を聞きたかったっすよ!」

 鞄から筆記具を取り出すと、前のめりにずいと弥生へ顔を近づけた。
 美麻美柚越しに速鳥と視線が合い、はてな。と首をかしげると家人でもないのに美柚は、座布団をどこからともなく取り出して、速鳥へ座るよう促した。
 この事とは、一体何なのか…。よくよく二人の話を聞けば、最近速鳥が頻繁に弥生の家を訪れることが気になるらしい。美柚は速鳥と弥生へ交互に視線を行き来させると、

「二人はただならぬ仲…」

 と、いつかも聞き覚えのある台詞を呟いた。速鳥は美柚の言葉には動じず静かに座っているが、探しものをするかのごとく室内を見渡していた。

「いや、美柚ちゃん。それは違う違う」

 速鳥が頻繁に訪れるには理由がある。言わずもがな天狐の天吉が目当てなのだ。弥生の飼う天吉は野生の天狐とは違って人に慣れていることもあり、見知った人間への警戒心は少ない。ホロウや千歳に天狐語を学んでいる速鳥は、弥生宅へ訪れては天吉と会話(成立しているかは不明)を練習しているのだ。おまけに、よく天狐の遊び相手にもなってくれている。
 美柚が言うように、速鳥が頻繁に家に来るようになった頃、初めのうちは色ではないかと影で噂されていたが、彼の天狐好きが公になると熱のあった噂話はあっという間に収まった。仕舞いには、その寡黙さと神秘性を備えた一面の意外性に、ときめいた女性も増えたとか減ったとか…。ともかく、弥生と速鳥の間には男女関係は無い。そう断言すると、美麻は若干不服そうだった。いいネタが仕入れられると思っていたのかもしれないが、どうやら彼女たちの希望には沿えなかったようだ。
 だが、頻繁に速鳥が出入りして入れば、疑う人も居るだろう。弥生の体調が優れなければ速鳥はいの一番に薬を持ってきてくれるし、戦場ではいつも弥生を助けてくれる。そうなんすねー。と肩を落とした美麻に弥生はもう一切れかすていらを差し出した。

「特ダネを掴めなかったのは残念っすけど、嘘の記事は書かない、真実だけを伝える。それが自分たちの信念っすから!いつか隊長さんにいいひとが見つかったら、一番にお祝いの取材させてくださいっす!」
「あはは、それを聞いて安心した。あるかはわからないけど、もしいい人が現れた時はお祝いの華やかな記事をひとつお願いします」
「うん、任せて」

 こくりと頷いた美柚は、湯呑を置くとごちそうさまと手を合わして、美麻の袖を引っ張った。

「お姉ちゃん、そろそろいかなきゃ」
「あ、そうだった。いまから、息吹さんとこに行くんですよ!俺の伊達男っぷりを是非霊山に宣伝してくれって頼まれまして」
「そ、そうなんだ?(…伊達男っぷり、息吹のやつまた可憐な少女たちに何をさせようとしてるの)」
「そんなわけで、かすていらご馳走さまでした!また遊びにきてもいいっすか?」
「いつでもどうぞ。今度は一緒に夕食食べよう」

 笑顔の姉妹を見送り再び部屋に入ると、あぐらをかいて座っていた速鳥はそーっと寝台の下を覗いている所だった。生憎、天狐は散歩中で不在だ。

「天狐、まだ帰ってこないみたい」

 弥生の言葉にはっと気づいて速鳥は顔を上げた。天狐の事となると、速鳥は少々周りが見えなくなる。
 天狐は鼻が効くから、餌を玄関先に置いていたらすぐに戻ってくるかもしれない。箪笥の一番上の戸棚から天狐の餌を取ろうと、弥生は踏み台を持ってきて足を掛けた。棚のどこにしまったか、なかなか餌の袋が手に届かない。つま先に力を入れて、更に体重を掛けるとようやく奥の方で紙袋の包を掴んだ。その時弥生は浮遊感に襲われた。片足に力を入れすぎて踏み台が傾いたのだ。間違いなく激痛が押し寄せると思い覚悟を決めたが、いくら待っても痛みはない。ぎゅっと瞑った目をゆっくり開けば、目の前には速鳥の胸があった。弥生はしっかりと抱き抱えられ、速鳥は強打しないよう即座に腕を伸ばし頭を守ってくれたらしい。

「ご、ごめん!速鳥!ありがとう!」
「少し…、いや、かなり焦った…怪我は?」

 掴んだ袋包を掲げて見せた。

「大丈夫。はいこれ。天狐早く帰ってくるかも」

 速鳥は目を細めると、口布はわずかに動いた。隣に身体を投げていた速鳥は起き上がると、いつの間にか弥生の真上に覆いかぶさっていた。上から見下ろし、今だ床に転がる弥生の顔の横に手を着く。すると隊長、ではなく、「弥生殿」と優しく呼ばれた。普段の速鳥からは感じられない感情の波のようなものが満ちるように、弥生へ向けられている気がして、不思議と羞恥心が湧いた。弥生はまっすぐに速鳥を見れなかった。

「自分は、天狐が好きだ」
「し、知ってる…よ?」
「だが…、ここに訪れるのは何もそればかりではない」
「と、申されますと…」
「貴殿は、遠く霊山より来た姉妹記者もなにかと気にかけている。皆に等しく優しい心がある」
「ありがと…」
「自分は貴殿のそういう所に、惹かれているのだと思う…」

 弥生を見下ろす速鳥は、ゆっくりと口布を下げた。こんなに間近で速鳥の顔をみるのは初めてだ。たまに禊場で誤って鉢合わせることもあるが、大抵遠目からでしか速鳥の素顔を見たことがない。実に清廉そうな顔立ちだった。視線が通うと鼓動はますます大きくなる。自分の心音が頭の中まで響いていた。
 先程美麻と美柚に断言したばかりだというのに、一体何が起こっているのだろうと弥生自身も頭も心もついていかなかった。

「弥生殿のことを、誰よりも知りたい」

 真剣な眼差しと言葉に、弥生は何と答えて良いのか戸惑った。これまで共に職務に励んできた仲間に思いを告げられるとは予想していなかったからだ。ただ、自分の気持ちはどうかと振り返った。速鳥に対しての感情は、今は仲間かもしれないが…、弥生も速鳥のことを今以上に知りたいと思える。
 弥生はそっと速鳥の頬に触れた。

「ゆっくりでいい…かな。今はまだちょっとわかんないから」
「問題ない」

 速鳥に優しく抱きしめられ、弥生もそっと彼の背に腕を伸ばした。