木漏れ日

 朝から静かな雨が降ったり止んだりしている。土地の作物や花木は加減良く落ちた露に頭を垂れるも、時折雲間から差し込む陽の光は里を鮮やかに映し出していた。まるで天もモノノフたちの帰還を歓迎しているようである。
 ウタカタの里のモノノフたちが鬼の討伐へ出かけ十日あまりが経っていたが、皆無事に任を終え里へ帰ってきた。今回の討伐は、大型の鬼が里周辺に異常発生し、里のモノノフ総出で出動する事態となり、お頭の大和は本部で気を揉んでいた。

 この里を鬼より守るモノノフは、神垣の巫女橘花の姉である太刀を扱う桜花、自称里一番の伊達男とのたまう槍使いの息吹、学者であり医者である弓を得意とする那岐、年齢不詳との噂がある鎖鎌を縦横無尽に操る初穂、抜け忍で双刀使いの天狐をこよなく愛する速鳥、そして手甲を扱うホオズキの里よりやってきた富嶽である。
 六人とも、鬼からこのウタカタの里を守らんと、ここ数年里に駐在しているモノノフの精鋭たちだ。

 里の門を潜った彼らには、相当の疲労が伺えたが、ようやく安息の地を踏み肩の荷が下りた様子だった。出迎えた里の民は、本堂へ続く路端に列をなし、勇なる者の無事をひと目拝もうと人垣は二重三重にもなっている。帰還を喜び「おかえり」と声を掛けた。
 その人々の中には彩音の姿もあった。もうすぐ富嶽が彩音の前を通る。周りより一層「お帰りなさい」と声を張り上げれば、富嶽が瞬時に彩音に気づき、手を掲げた。
 いつも帰還時、一番に彩音の声に気づいてくれるのは彼だ。彩音は胸元で小さく手を振り返すと、富嶽は反転し仲間の後に続き詰め所へ歩みを進めた。
 任務完了後は、報告や鬼との戦いで浴びた瘴気の影響がないかなど、雑務その他をこなさねばならないのである。彩音も無事に帰った彼らの背を見送ると、己の仕事にとりかかるべく自宅へ戻った。

 彩音はウタカタの里で生まれ育ち、モノノフとして働く父母子の家族三人暮らしだが、現在両親共々、鬼ノ府の総本山である霊山に出向中である為、今はこの家に一人で住んでいる。
 大抵モノノフの子供も霊山より選抜され、モノノフとして鬼を滅するための訓練を受けるのだが、彩音は訓練生として選ばれなかった。あまり、御霊を宿す力が無かったのだ。
 そんな訳で、日頃の仕事といえば、町々で売る為の小間物作りの内職と、畑仕事が主である。畑で採れた野菜などは、里内での販売はもちろんだが、大抵はモノノフの食堂へ卸していた。本日も野菜を収穫すると、籠を担いで家を出た。

 勝手知ったる食堂の裏口から厨房へ入ると、女給が既に昼の支度を始めていた。まだ朝を終えて間もない頃から仕込みに取りかかっているのは珍しい。不思議に思っていると、どうやら、先ほど帰還したモノノフたちが食堂で歓談しているので、軽食を用意すべく包丁を握っているのだという。
 彩音は気休め程度に前掛けのシワを伸ばし、髪を撫で付けて食堂の座席を伺った。そこには、那岐と、息吹、富嶽が座っていた。

「皆さん、お帰りなさい!」
「彩音様。お久しぶりですね。おかげさまで、出立前に頂いた干枇杷、大変美味しゅうございました。ありがとうございます」

 彩音は庭に生っていた枇杷を乾燥させ、出立前に皆に贈っていた。那岐は気に入った様子だ。息吹も頬杖をつきながら美味かったと金髪を前後に揺らし、ひとつ大きなあくびをしていた。

「相変わらず、彩音ちゃんの顔見ると帰ってきたー、ってな感じだな。緊張感が一気に解ける」
「息吹さんに言われると…何か嬉しいような、そうでもないような…」
「おいおい、俺はこれでも褒めてんだぜ?」

 煩く笑う息吹に、いつもなら富嶽の叱咤が間髪入れずに飛ぶはずだが、隣はやけに静かだった。一言でいえば元気がない。
 彩音が首をかしげていると那岐と目が合い、彼女は眉尻を下げていた。那岐はそっと富嶽の手元に視線を流している。富嶽の手には握り拳大の石がひとつ乗っていた。彩音には見覚えが合った。結界石だ。

 一見すると河原に転がっているような何の変哲もなさそうな石だが、これは鬼を跳ね返す力があるといわれている石で、神垣の巫女がまじないを唱える際使うものである。光に当てるとその表面には青く透き通った成分の違う石が、空に走る雷槌のような裂くような模様と、岩清水のような曲線の模様をなしていた。なかなかモノノフでもこの石を手に入れることは難しいらしいが、富嶽が持つのには理由がある。

 富嶽はホオズキの里で生まれ育ち、モノノフとなった頃より長年巫女の近衛を務めていたが、二年前にホオズキの里は鬼の襲撃に合い壊滅。里の精鋭による奮闘も虚しく、結果生き残ったのは富嶽だけだった。
 そして、この結界石は里を守らんと祝詞を最後まで唱え続けた巫女の遺品であるのだ。以来、ずっとお守り代わりにして肌身離さず大切に持っている── そう以前、彩音に話してくれた。

 富嶽は、手慰みに結界石を手のひらで転がしていた。ところがよく見ると彼の手のひらの上では大きな石と、小さな石とに分割されている。
 今回の討伐で、鬼に飛ばされた際一部が欠けてしまったらしい。その時の鬼が、ホオズキの里を襲った鬼と同型の、大閻魔という鳥の姿に似た鬼というから、益々感傷に浸っているのだった。
 息吹は「たまには昔を思い出すことも必要さ」と彩音に囁き、女給が持ってきた握り飯を頬張っている。息吹も辛い過去を持つ大変繊細な心の持ち主だが、普段はひょうきんを装っている。口から出る言葉は調子の良いことばかりで、格好も大変派手だ。装飾品もたしなみだと、わりと邪険にせず付けている。
 そんな息吹を眺めて彩音はふと思いついた。

「富嶽さん、結界石の欠けてしまった方、ちょっとだけ私に貸して頂けませんか?」
「あ?何すんだ、こんなもん」
「絶対、悪いようにはしないと約束します。お願いです。少しの間でいいですから」

 まあ、減るもんでもねえしよ…。富嶽は小さく欠けた方を彩音に差し出した。半透明の青い部分と、本来の石の部分とが丁度半分ずつの割合だ。彩音は礼を言い、大切に手ぬぐいに包んで帯に挟んだ。
 既に食堂の外は陽が高々と昇っていた。彩音の一日の仕事はまだたんまりと残っている。これから再度畑へ出て、藁を束ねねばならない。慌ただしく腰掛けから立ち上がった。

「明日は何もない限り、モノノフの皆さんは休息日ですよね。また今日と同じ時間に食堂で落ち合って、お茶しませんか?私、明日は美味しい芋餅をごちそうしますよ!」
「それはとても楽しみでございます。ね、富嶽様」
「彩音ちゃん。腹痛はごめんだぜ?」
「っもう!息吹さんてば!」

 息吹と彩音が冗談を言うので、富嶽もつられて僅かながら笑みが垣間見えた。那岐はほっとした様子だ。
 彩音は、仕事が残っているからとそそくさと食堂を後にした。



 帰宅した彩音は、畑仕事をさっさと終わらせると、家に篭った。
 小間物作りに使う道具箱を引っ張り出し、普段より帯留めなどの飾り物を作る要領で、結界石と向かい合った。
 彩音は、息吹がいつも首に下げている櫛の首飾りを見て思いついたのだ。この欠けてしまった結界石にも代用できるかも知れないと。早速、丈夫な紐を組み、石が入る大きさの網を作った。そこに富嶽に合う飾り紐を編んだ。中々普段の小間物づくりの技能が生かされた。
 鬼との戦闘は激しいので、なるべく頑丈に、強固になるよう工夫し、いつでも取り外せるように留め具も付けた。完成品を見ても、我ながら良い出来栄えである。
 一仕事終え、ごろんと床の間に仰向けになると、結界石を掲げてみた。囲炉裏の火は、きらきらと半透明の部分に反射し、幾度も中で屈折している。

 富嶽はホオズキの里で生まれ育ち、その故郷は鬼によって消滅してしまった。果たしてウタカタの里で同じ状況に陥った時…いや、そんなことは考えたくはないが、もし彩音が一人生き残ったとしたら、他里へ来て共に戦う仲間として懸命でいられるかと思うと彩音にはきっと苦しさの方が勝って、生きることすら辛くなるだろう。だが、富嶽はウタカタの里へやってきても、ウタカタの里の為に鬼を見つけ出し討伐してくれる。
 いつも気丈に振る舞い、勇ましく鬼とやり合う富嶽も、少しくらいは感傷に浸る頃があっても誰も文句は言わないだろう。

 彩音は起き上がると、結界石の首飾りを半紙に綺麗に包み、赤い組紐を十字にかけた。外はすっかり暗くなっている。水瓶に水を溜めておかねばと、桶を持って井戸へ行くことにした。
 井戸は里の集落の区画に大体一つか二つずつあって、皆共同で使っている。彩音がいつも使う井戸は、川べりにあって、大きな椎の木がそれである。片手には桶を、片手には提灯を持ち、広がった枝木を目指して歩いていると先客がいた。富嶽だった。
 富嶽は、未だ彩音に気がつく様子はない。桶よりざばざばと水をすくい、豪快に水を顔にたたきつけていた。富嶽のつむじの見える位置にしゃがみ、暫く座っていると、富嶽は変だと思ったのかがばりと顔を上げた。驚嘆と呻きを同時に発した。

「あははははは!驚きましたか!」
「あっったりめえだっ!こんな薄暗い中にぬっと現れたら何か化けて出てきたんじゃねえかって思うだろうが!」
「ふふ、ごめんなさい」
「まあ、いい。で、水汲みに来たんだろ」

 井戸使えよ。そう言った富嶽は、己が使っていたたらいを井戸より少し離した位置に置いた。

「富嶽さんはもういいんですか?」
「ああ。汲み終えたら言え。暗えし重いだろ。家まで運ぶの手伝ってやるからよ」

 彩音が桶いっぱいに水を汲み終えると、富嶽は何も言わず軽々と桶を手に取った。普段なら彩音は休み休み家まで帰るが、今日の帰路はさほど時間が掛からなくて済みそうである。
 足下を提灯で照らし、しばし井戸から離れた二人は無言だった。雑草を踏み、地の砂が擦れる音だけが踏み出す時に聞こえるばかりだ。里を囲う山と空の堺からは月が顔を出し、星も呼応するように光を放ち煌めいている。

「あ、そうだ。食堂の晩御飯の献立、今日は何だったんですか?」
「味噌汁と、魚の干物と…白飯と、里芋の煮っころがしだったな」
「美味しそう!私もお腹すきました」
「なんだ。まだ食ってねえのか」
「ははは、内職してたので」

 彩音の家につくと、富嶽は土間へ入り、桶から水瓶に水を流し入れた。提灯の火を消した彩音は、それをうっちゃったまま草履を脱ぎ捨て、部屋へ上がった。

「おい、彩音。桶ここに置いとくぞ」
「はい!手伝ってもらって、ありがとうございました」

 そそくさと帰ろうとする富嶽を呼び止め彩音は座るよう促した。

「まあまあ、お茶でもどうぞ」
「お、おう…。悪いな」

 土間の上がりに腰掛ける富嶽の背中は、随分大きい。彩音の倍はある肩幅がずっとその腰まである。首筋には何かに引っ掻かれた痕が赤く残っていた。先日の討伐で出来た傷だろうか。こうしてよくよく近くでみると、思いの外小さな傷が多い。何も喋らない静かな彩音を不審に思ったのか、富嶽はまた、どうしたと振り向いた。

「え、あ、いや。何でも…ないです」
「そういやよ。昼の結界石、一体何に使いてえんだ」
「それはですね…!」

 彩音は道具箱の上に置いていた、赤い紐で結った包を富嶽に差し出した。

「なんだ?こりゃ」
「えと、ありがた迷惑…とも思ったのですが、富嶽さんあの結界石はいつも肌身離さず、お守りにして持ってるんだって前話してくれたじゃないですか。だから、欠けてしまった小さい方も、いつも手放したくないだろうなって…。そう、私が勝手に思ってしまったのですが、ともかくよければ使って下さい!」

 本当は、明日のお茶会で渡そうと思ってたんですけど…。包の開く音に紛れてもごもご言った言葉は尻すぼみになってしまった。
 富嶽は、結界石の首飾りを取り出すと目を見開いていた。

「こりゃあ…。よく作ったな」
「あの、き、気に入らなかったら全然、その…」
「いいや。これつけてくれるか、俺あどうもこういうの留めたりすんの苦手だ」

 富嶽は結い紐の両端を掴んで渡し、彩音は後ろに膝立ちをして留め具をしっかりと合わせた。その時、首筋の赤い傷が気になり、彩音は指でそっと触れてみる。富嶽は思わず肩をビクリと震わせた。

「お、おい!いきなりなんだ!」
「えと、怪我…傷があるなと」
「そりゃ鬼とやりあうんだ。傷の一つや二つ出来るに決まってらあ」

 富嶽は少々顔を赤くして後頭部をかくと、胸元の結界石を摘み、どうだと得意気に彩音に見せた。

「とても似合ってますよ」
「ありがとよ」